evergreen

      ずっとずっと 色褪せない わたしの気もち。
welcome !  



2012年の気持ち。 

2012年。

新しい年の始まりは何の確証もない私達でも、ついつい期待してしまいます。
今年は良い年にしようって何年も思い、いつも期待してきました。

病気の人も、そうでない人も、どんな人にも平等に時が過ぎて当たり前に開ける新年。
そして願う事もそれほど変わりがないはずなんだよね。

「家族みんなが、どうか健康で過ごしていけますように。」
「平和で穏やかな日々が続きますように。」

ユウタが病気になってからの特別な思いなんかじゃないけど
それ以前とそれ以降の思い入れは確実に違っているな〜と正直思っています。
健康が当たり前になっているとなかなか気が付けない事なんだよね。
宝くじで健康が当たるならいくらでも・・・。


情報を求めてネットを彷徨い歩いていると
健康な事がむしろ珍しいんじゃないかって思ってしまいます。
それくらい皆、悩んだり苦しんだり、痛みを抱えながらも孤独に居たり。

痛みを他のものと比べられないように、幸せだって比べられないけど
私は私の中で「去年よりは良い年にしていきたい」という願いを込めての年明けでした。


そして毎日思っています。

昨日よりいい一日にしよう。
明日は今日より笑っていよう。


長い先の方を見ると、めまいがするんだけど
すぐそこにある物を大切にして、1日1日を暮らして行こう。

今はそう思います。今はね。

すぐに挫けそうになるけど・・・今はそう心から思っています。





[ 2012/01/12 14:06 ] ママの心 | TB(0) | コメント(-)

大晦日の前日。 


今日は12月30日、明日は大晦日。

パパは仕事でチヒロは実家。
私とユウタはいつもの日曜日と変わらない時間を二人で過ごしています。
それにしても全然、年末!って感じがしな〜い。

1年はあっという間というけど、いいや今年は長かった〜。
永遠にこの時間のまま流れていくんじゃないかって、
1分、2分の時の長さが私にはとてもとても長く感じた1年でした。
長くて重たい時間の中で押しつぶされそうになりながらの日々でした。

正直言えば、苦痛ばかりの1年だったな。
一昨年の12月から心を病み、私も通院するようになってしまったのだけど
あの頃の自分と今の自分を比べてみると、うーんと良くなっているな〜!とも思います。
もう包丁を持って枕元で思い悩む夜も無いし、車で逃避行する事もなくなったし。

自殺の計画。心中の計画。
3月の東太平洋大震災。
大切な友の死。
ユウタの警察沙汰。
児童相談所。
検査入院。



色々あった。いろいろ。
思い出すのも苦痛。

だけど、こういうときに気がつく事がたくさんあったよ。
思ってくれている人がたくさん居るってこと、本当は幸せであると言う事。

「たいせつなものは目にみえない。」

その通りなんだよね。



リアルでもネットを介してでも、支えて下さった人たちがたくさん居た。
来年は私も誰かを支えられるような、そんな人になっていたらいいんだけど
そんな事を思う時点で、なんかちょっと違うんだよね。

「あの人を支えたい!」と意気込むような事・・・じゃないんだ。
人を思う事ってそんなに力むような特別な事じゃなくて
離れていても、どんなときでも「あなたはいつも間違ってなんかない」って
丸ごと受け入れてもらえたときに、初めて温かい涙が出るんだよ。

誰かに相談するときって、本当は正解が知りたいんじゃないんだもん。
どんなに間違っていてもね、少しの時間は間違いとか正解を話されるよりも
全肯定で「そうだよ!」と寄り添ってくれたら、あとから自分で冷静に考えられる時間が訪れる。


人生、修行だね。
まだまだ学ぶべき事が山盛りなんだろうな。

ユウタの方が私よりも、そういった所ではうんと先を歩いているような気がするよ。




[ 2011/12/30 14:29 ] 日常 | TB(0) | コメント(-)

「死にたい。」 


昨年の今頃、私は消えてしまいたいという気持ちにばかり支配されていました。

「ユウタと一緒に死にたい。」
「チヒロを残していくのは可哀想。」
「二人を連れて死んでしまいたい。」

とにかく逃げたくて、今の現状から抜け出したくて。
難病を抱える子供の将来に悲観し、子どもの為という言い訳で正当化しながら、でも本当は私自身が楽になりたかっただけなんじゃないかと今は思います。

このままでは 今夜にでも本当にチヒロとユウタを殺してしまうかもしれない。
死にたい心とは裏腹に、そんな気持ちでいっぱいの自分を遠目から恐ろしく見ている冷静に焦った自分もいました。

パパが会社から帰宅して寝静まった後、並んで眠っているチヒロとユウタの枕元に私は朝方まで座り込んでいました。

「今夜こそ」

そう心に何度も、最後の一歩を踏み出そうと。
手には包丁を握りしめ。

恐ろしいこの光景を天井あたりから眺めている私もいました。
いいの? 刺せるの? 子どもを殺せるの? これが1番いい解決方法なの?
色々自分に問いつめながら、何度も深呼吸して、手の汗を拭き、涙が出てきたらとりあえず冷静になって包丁を床に起き、そしてまた包丁を握る・・・。
空がだんだん明るくなってきて、チヒロとユウタの顔が見えてくると私は泣き崩れ「殺すのを諦める」といった感じの毎日を1ヶ月くらいは過ごしていました。


いつ頃からだったのかもう忘れてしまったけど
ユウタは長い間続く頭痛に苦しむうち「もう、死にたい」と言うようになりました。

殺して欲しい。
ママ、一緒に死んじゃおうよ。
もう諦めたいよ。
頭が痛いのはもう嫌なんだよ、殺してよ。

このような言葉を毎日繰り返すようになっていました。



もう、殺してあげた方がいいんじゃないかな・・・。

病院にも通っている。
薬もちゃんと服用してきた。
頭痛の解消に向けて今まで様々な検査をしてきた。薬も色々変えた。
医療麻薬も使ってみた。効かなかった。
手術してまでシャント(水頭症の処置)交換してみた。
北海道まで行き、小児の脳腫瘍を多く診ている先生にも診て頂いた。
何でもしてきた。だからもうこれ以上何も手段はない。

頭痛に苦しむユウタの姿。
殺してほしい、一緒に死のう!とせがむ声に私の心は揺れ続けました。
学校にも行けない、頭が痛くて外にも行けない、病院に連絡してもステロイドを増量して様子を見てくださいという返事。
誰もいない。助けてくれる人はもう何処にも居ない。
この狭い部屋の中でテレビを見ていると、ユウタと私、この家族だけポツンと、世間から遠く離れた異空間に居るような気持ちに包まれました。
私とユウタの二人きりで過ごす時間はすべてがモノクロのように映っていました。



もう、死のう。
十分がんばって来たし、これからの長い人生がこの苦しみを抱えながらのものであるのなら、殺してあげた方が幸せなんじゃないか。
チヒロを置いてはいけないよ。でも、この子の明るい未来を奪うのも可哀想。
どうしよう。どうしよう。

そうだよ、私が家族みんなを殺せばいいんだ。
結局、そこにたどり着くのでした。




私はこれほどに強く死にたいと思ったことはこれまでありませんでした。
家族の殺害の方法を具体的に、痛みや苦しみの少ない方法まで検索していました。
最後に自分が死ぬ方法も完璧に用意していかなければと計画を立てました。

不思議ですが、そうやって死ぬ方法、逃げる方法を考えているときだけ「生きているんだ」という感覚があって、それ以外は昔のアルバムを見てるような、色あせた風景がスローに流れていました。

あんな日々から1年。
1年経った今も、その光景がまた再び流れ出すのではないかと怯えています。

[ 2011/12/28 22:19 ] ママの心 | TB(0) | コメント(-)

ユウタの110番。 

警察官に羽交い締めにされる10歳の子どもの姿、
大勢の警察官がぞろぞろと家に入り、我が子が連行されて行く様子をほんの少しだけ想像してみて下さい。
愛し育ててきた我が子の姿として。



2011年 夏休み。
家の中に警察官が入ってきたかと思うと私のすぐその目の前で
ユウタが警察官に肩と足をとられ倒れ込み、ドタンバタンと大きな音と共にうつ伏せに押え付けられました。
それから私服の警官が泣いているユウタを促し警察署へと連れて行きました。
警察のお世話になるのは、もうこの日で3度目となってしまいました。

ユウタが羽交い締めにされ押さえられていたその時、私は”自分の子どもの名前”も思い出せず、ただ「母親です」「息子です」の返答さえ出来ない程の『痛み』を感じ続けていました。


ユウタは現在小学5年生です。
小学生とはいってもユウタは脳腫瘍の摘出手術後に起きてしまった後遺症により、大変大きな体になっています。
私などは、もう軽く突き飛ばされてしまう感じです。

普段はとても穏やかで、心の優しいユウタです。
親ばかですが、ユウタは優しく温かい心を持った子どもだと思っています。

でもユウタは、怒りの感情に包まれたり困り事に突き当たると物にあたったり人に手をあげたり、自傷行為を起こすようになってしまいました。
それもこれも手術の後遺症によるものなのですが、感情の抑制が難しく、特に突発的に起こった出来事に対する怒りの感情を抑制する事がとても苦手となってしまったのです。


IMG_0046.jpg


例えば・・・
テーブルをひっくり返す、壁をたたく蹴る、ドアを壊す、ガラスを割る、近くにある物を投げつける。
そのような事は日常茶飯事でした。

抑えられない怒りの感情を家の中にある物へとぶつける分にはまだ良しとしても
ベランダに出て、柵を乗り越え6階から飛び降りようとしたり、そんな事もしょっちゅう繰り返していました。
「死んでやるーーー!」とマンション中に、いいえ町中に、
小学5年生の男の子の泣き叫ぶ声が早朝の我が家から響き渡るのです。

チヒロもユウタの腕を引っ張りながらベランダで大泣きです。
「もう、やめて!ユウタ、やめて!」大騒ぎです。
大きな体のユウタを私とチヒロで押さえ付けようとしてもしても動きません。
ご近所の皆さんもこちらを見上げて立ち止まっています。

チヒロは耳を塞いでユウタに負けないくらい大きな声で泣きました。
ベランダの柵にしがみつき「死んでやるーーー!」と大声で泣き叫ぶ異常な弟の姿を同じ中学の友達や先輩に見られている訳ですから、恥ずかしい気持ちや情けなさ、敏感な年頃の女の子にとっては絶望感でいっぱいなはずです。
「もう、学校にはいかない!」そういってチヒロが部屋に閉じこもってしまう事も何度かありました。



私はお母さんなのに、こうなるとなぜかいつも「無」になってしまいます。
自分がどのように行動したらよいのかがもう分からなくなります。
情けない事に、ただそこに立ち尽くすしか無いのです。
静かにパチン、パチンと頭の中で電源が落とされていくように私は動けなくなります。

こちらを眺めながら通り過ぎる人たちと、私のそばで泣いているチヒロと、
そしてベランダから今にも飛び降りそうな状態のユウタを見ながら、私は思いました。

こんなに大騒ぎな状態なのに、どうして誰も警察に通報したりしないんだろう。
なぜにノーリアクション?
びっくりした様子でこちらを見て、しばらくすると皆歩き出し通り過ぎていきます。

もし虐待だったら?もし家庭内暴力だったら?

私だったら?あなただったら?
家族だったら?知っている人だったら?


頭に大きな傷もあり、何度も救急搬送されているユウタなので、簡単に言えば「ユウタ君は病気」と近所の方々に知られていると思います。
後遺障害を抱えている事もそれなりに。
変貌した体格や頭に大きくある手術跡の事など含め、病気の事をオープンにせざるを得なかったので、聞かれれば誰にでも脳腫瘍の手術を受けた事、後遺症の事を説明してきました。

”脳の病気をした子だからね。いつもの事だよ。毎朝うるさいな。迷惑だな。”

そんな声を想像しているうちに、いつか本当に私の耳に直接陰口が聞こえてくるようになってしまいました。
でもそれさえも、みんなの冷たい反応さえも、私の勝手な被害妄想からくる幻聴でした。

そろそろ民生委員さんが訪ねてくるんじゃないか、警察や児童相談所、保健所からなどの介入があるんじゃないかと私はどこかで覚悟していました。
覚悟という中に、実は期待もありました。
誰か気付いてくれるかもしれない。そして、もしかしたらこの騒ぎを聞いて、誰かが救いの手を差し伸べてくれるかもしれない、助けてくれるのかもしれないと。


でも結局は誰も助けてはくれませんでした。
声をかける人も、苦情も通報もありませんでした。
無関心なのか、事なかれ主義なのか、あの子は病気だからという解釈からなのか。
関わりたくないのか、面倒なのか、哀れみなのか。


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初めて警察官が介入してきた日は、ユウタ自ら110番して「助けて!!!」と叫んだせいでした。2回目もユウタの通報です。

ユウタも、どうにもならない苦しみにもがいていました。
病院に行っても治らない、救急外来に連絡しても様子見して下さいと言われてしまう。とにかく頭が痛い、気持ちを抑えられない、自分で自分を止められない。

誰か助けて!

110番につながった瞬間ユウタはそう叫びました。
司令塔に、ユウタのその泣き叫ぶ声は、どんなふうに響いたんだろう。





[ 2011/12/05 11:40 ] 日常 | TB(0) | コメント(-)

13回目の入院。 

2011年 10月22日



寒いね。
今夜は冷たい雨がふっているね。

ねぇ、ユウタ。
さみしくて、泣いてない?
お腹はすいてない?
頭が痛くて、つらくない?

今日はバイバイの時に泣かなかったね。
えらかったよ。強かったよ。
ユウタはもうお兄ちゃんになったんだね。
最後の入院から…そうだね、三年も経ったんだもんね。
体も大きくなったけど、心も成長しているんだね。
そんなユウタのカッコいいところ、ママは気づかなかったよ。







10月18日から約二週間の予定でユウタが掛かりつけのこども病院に入院しました。
もう何年も続いている頭痛の原因を探る為の検査入院です。
最初の二泊は母子入院でした。
ユウタのベッドの横に小さくて硬い簡易ベッドを置き、私はそこに寝ました。
うんと腕を伸ばしあい、いつものように手を握りしめて二人で寝ました。
家族と離れている淋しさや不安な気持ちは、お互いの暖かい手の温もりで拭い去れていました。
きっと。

入院初期はまず様々な検査をする計画です。
何か治療をしている訳では無いので相変わらずユウタの頭痛はひどく、夜中に何度か私に助けを求めてきましたが、結局、病院にいてもなす術なく、ただひたすら頭痛の波が落ち着くのを待つしか出来ません。

病棟の端っこにある、小さな個室。
節電の癖がついている私達は、昼間は常に部屋の電気を消して、外からの日差しの明るさで過ごしていました。

二人だったからね。
ユウタのベッドでぎゅうぎゅうになって、くっついてお昼寝したりゲームをしたり。
さみしくなんて、なかったね。

今回、私は二晩だけ付き添い、三日目の夜に私は自宅へ戻りました。
四歳で脳腫瘍を発覚し、それから短期や長期を含めて数えたら今回は13回目の入院です。
考えてみたら、何度も付き添いなどせず、ユウタは幼い時から一人で入院してきました。








辛いね。
頭の傷さえ髪で隠れていたら、身体は思いきり肥満体ではあるけど、元気な小学生そのままに見えるのに。

痛いとか、苦しいとか、怠いとか。
辛いとか、さみしいとか、もう頑張れないとか。
たくさん抱えて。

さぁ、あなたには明るい未来が待っているから。
だから頑張ろう。

そんな言葉がインチキ臭くて、私は大嫌いなんだよ。

だけど諦められない。
子どもの事はどうしたってね。








ねぇ、ユウタ。
さみしくて泣いてない?
お腹すいてない?
頭、痛くない?
ママはね、本当はさみしいよ。
涙がとまらなくて、かっこ悪いお母さんだね。



2011.10.22
[ 2011/10/30 00:00 ] 13回目の入院 | TB(0) | コメント(-)

病弱児支援級・1 

これだけが原因ではないんだけどね。

ずっとブログを放置してしまっていた一因として
本当の気持ちを包み隠さずに書いてみようと思います。

現在、支援級や支援学校に通われながら一生懸命に頑張られている方は
もしかすると大変気分を害されるかもしれないです。

でも、私の気持ちとして綴りたいと思っていますので許して下さい。







ユウタは地元の小学校に通っています。
チヒロも通っていた小学校です。

当たり前のように地元の小学校に入学して
当たり前のようにクラスのみんなと過ごし、卒業していくものだと思っていました。

ただ、ユウタは様々な困難を抱えているので、
皆と全く同じように過ごす事はとても難しいだろう、とは覚悟していました。

それでも、ユウタと同じ病気の仲間たちがそうしてきているように
病気に対する配慮や学校や先生方、そして保護者の方への理解を求めながらであれば
保育園からのお友達と一緒に、同じ教室で過ごしていけると
私はそう思っていました。

みんな、そう思っていました。
私もパパもチヒロも。




低学年の頃は、そうでもなかったクラスメートとの距離を
3年生くらいから、強く感じるようになりました。

集中力が無い事、体力的な差、年々と強くなり続けている頭痛、倦怠感。
1日の中で保健室に行く事がほとんどの学校生活となって行きました。


保健室の先生は、おもむろに困り果てていました。
ユウタの病気に対しての理解はなかなか得られませんでした。

でもね。
そりゃそうだよ。

保健室に行っても、遊んだり、おしゃべりしたり、折り紙したり・・・
そこでは元気なんだから。

好きな事をしていれば元気なんだもん。
教室に行くとダメなんだもん。

ワガママ、甘え、さぼり、として見えても当たり前です。

先生からの連絡ノートには、いつも保健室の先生との困ったやり取りばかりが綴られ
夕方には担任の先生から、学校での問題行動を伝える電話が掛ってくるようになりました。







2009年に小児脳腫瘍の会で行われた講演会。
(その時の記事はこちらをクリック


この日の講演後の親睦会にて西牧先生にユウタの状態を相談しました。

その時に西牧先生がアドバイス下さったのが
「病弱児支援級というものを今の小学校に設立してもらいなさい」といったお話でした。



病弱児支援級・・・支援級か。


私には正直「戸惑い」がありました。
情けない事に「ショック」でもありました。

支援級という響きに。

そうです、支援級というものに対しての偏見があったからです。




ユウタは、これからものすごい努力を必要とするのだろうけど
「普通級」で頑張って過ごしていける。

もう少しすれば体力もついてきて、理性も成長して協調性を持てるようになり
集中力も備わって行くだろう。

勉強も全くついて行けてない訳ではないし
同級生との会話だって、そこまで距離を感じる程度ではないんだから
少しの幼児性は感じても、それでも、それでも・・・。


私は認めたくなかったんです。

「普通級」にこだわっていました。





だけど、そんな事を言ってもいられない。

現実の日々の中で、いったいどうして行く事がユウタにとって1番なのか
時々、パパとは支援級について話をしていました。

「病弱児支援級」というものを、まだ知らなかった時の話ですが
もともと小学校に設立されている知的や情緒等に障害を持つ子ども達の為にある支援級にユウタも所属するべきなのかどうか。

学年が変わるたびに、そして何か問題を起こすたびに
学校の先生にも相談していました。

ユウタにとって支援級がベストなのであれば移る事も大切だと
親としてそういった思いも、もちろんありました。

でも、先生の意見も「ユウタ君に支援級は向かない」といった返事でした。



パパと私の話し合いは、いつだって同じでした。
お互いで同じ事を交互に言い合っていました。

「ユウタに普通級での活動は難しいんじゃないか?」
「いや、頑張れると思う。」
「もう少し、頑張らせてみよう。」

いつもいつも、その繰り返しでした。








普通級?通常級?

きちんとした名称というか、呼び方は分かりません。


ただ私は、そんな括りにさえ悲しい諦めを感じていました。

我が子の病気の受容も、まだまだ出来ていない状態の中で
だけど、どんどん出来ない事が増えて行く現実の中で、しがみついていました。


みんなと同じように元気になって行くと信じていたい気持ちに
私が、しがみついていました。






[ 2011/09/26 23:54 ] 小学校 | TB(0) | コメント(-)

キッチンの鍵。 


なかなかここに投稿する気持ちになれなくて
ずっと下書きに保存していたもの。

1年以上も前の話なんだな・・・。


しばらくしたら、この記事は 2010年4月のアーカイブへ移動します。






   
2010年 4月 
  

キッチンの出入り口に扉を付けました。

毎晩、私が寝る前に鍵をかけます。



これでいいのか?

毎晩毎晩、鍵をかけながら自分を責める。


今だって、こんな事が最善策だなんて思えないけど
どうにもならない現状でもある。




「病気の子供に産んでしまってごめんなさい。」


そんなふうに自分を責める事で、自分を痛めつけて
私はそれで「懺悔」しているつもりなんだよね。

ただの自己満足。自己陶酔。

かわいそうなお母さんを演じてるんだよ。






お腹が減るのも隠れて食べてしまうのも、ユウタのせいじゃない。

意思が弱いとか、そういう事じゃないんだよね。


悲しむ家族が頭に思い浮かんでも止められない隠れ食い。
それ程の空腹なんて私は味わった事も無いんだから
簡単に「頑張れ!」「耐えろ!」とも言えないよ。

これ以上ユウタの体を悪くさせたくないという私の思いなんて
ただの”身勝手”とも感じてくる。

だって、私だったら長生きできなくても
たとえ100キロ以上に太っていっても
極度の空腹になんて耐えられずに食べてしまうと思うもん。





こんな事が ずっとずっと続くのなら
もっともっと、どんなに太ってしまっても
たとえ短命となってしまっても
この先、違う病気になってしまうとしても

食べる事に規制の無い日々を送れる方が本人は幸せなのではないか?って
時々真剣に考えてしまいます。

でもやっぱりそんな事できないけどさ・・・。




[ 2011/09/20 21:08 ] ママの心 | TB(0) | コメント(-)
書いている人

ななえママ

ななえママです。

●ななえママ

神奈川県在住 30代、2児の母。
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メールフォームよりどうぞ。

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Family

ななえママ


DSCF0010.jpg

僕、ユウタです。 ユウタ


2000年生まれの現在小学5年生。
4歳の時に「頭蓋咽頭腫」という
脳腫瘍を発覚。5歳で再発。

7歳の時 骨の病気である
大腿骨頭すべり症を発症。

現在は汎下垂体機能低下症。
尿崩症。
体温調節障害。
視床下部性肥満。
器質性のナルコレプシー。
中枢神経系の慢性頭痛。
高次脳機能障害。

もう少し詳しい経過は
以下↓をご覧下さい。

ユウタは4歳の時に
頭痛と嘔吐をくり返した為
念の為にと受けたCT検査にて
「頭蓋咽頭腫」という脳腫瘍が
見つかりました。

・頭蓋咽頭腫
(ずがいいんとうしゅ)
craniopharyngioma
(クラニオファリンジオーマ)

頭痛と嘔吐の症状は
水頭症を併発していた為に
起こっていた症状でした。

腫瘍摘出の為に受けた
1度目の開頭手術では
全ての腫瘍を摘出する事は
出来ませんでした。

その後すぐに再燃し
その時もまた水頭症を併発していました。

腫瘍により流れにくくなっている
髄液を流しやすくする処置として
すぐにシャント手術を受けました。

2度目の開頭手術にはF先生に
執刀して頂き、見える範囲の
腫瘍を全摘出できました。

その後、手術の後遺症により
視床下部性の
汎下垂体機能低下症に。

使用中の薬は
・チラーヂン
・コートリル
・デパケン
・アナフラニール
・コンサータ
・トピナ
・エビリファイ
・成長ホルモン

視床下部性の肥満の為
高度肥満に陥りました。
成長ホルモン使用後から
少しずつ肥満は解消されてきていましたが
頭痛対策の為に始めた薬による副作用で再度体重が増加中です。

7歳の時に下垂体機能低下症の影響からと思われる
「大腿骨頭すべり症」という
足の病気になりました。(両側)

両足の大腿骨部分に
ボルトを埋める手術を受け
リハビリの為、肢体不自由児施設に約半年間入院しました。

小学校は3年生までは なんとか普通級で過ごしましたが
4年生になると同時に「病弱児支援級」を学校に設置してもらいました。
出来る範囲は普通級で頑張っています。

慢性的に続いてきた頭痛と傾眠傾向に付いて、その原因は
「ナルコレプシーという病気の可能性によるもの」との診断を受けています。
ナルコレプシー(睡眠障害)も
視床下部の影響によるものです。

コンサータという薬により傾眠は治まりましたが頭痛は毎日続いています。
この慢性頭痛は開頭手術時、中枢神経に傷が付いてしまった為、との診断。
現在、頭痛をとる為の薬を調整しています。

高次脳機能障害脳の為、感情を抑える事が困難で自傷行為や暴力行動もあります。


●不安な気持ちで
   ここに訪れた方へ

ここに書いてある事は
ユウタに起こった症状と
その経過です。
頭蓋咽頭腫のお子さん全てに
当てはまるものではありません。

同じ病気であっても
それぞれ症状も経過も違っています。



私、チヒロです。 チヒロ


1997年生まれの現在中学2年生。
弟思いの優しいお姉ちゃん。
一見クールな奴に見られがちだけど
実はかなり笑える女子です。


*************************

Thank You! read me

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