長い入院生活・・・。
手術前の割と自由な入院生活とは違って
今の自由のきかない日々。
ユウタはイライラしていました。
脳の手術をしてすぐでは、体を起き上がらせたり
立ち上がったりすると頭がグルグルするようです。
ユウタも起き上がりたくても、自分が辛いので
あきらめてすぐに横になっていました。
起き上がって折り紙を折ったり、おもちゃで遊んだり
全てに規制が掛かる状況にユウタは
とてもじれったい様子でした。
「病気がユウタを殺そうとしているんだ!」
ユウタが泣きながら病棟のベットで叫びました。
私は涙が止まらない。
小さいながらにユウタも死の恐怖を感じているのかもしれない。
頑張って病気をやっつけようよ!
そしたらまた保育園行って、お友達と遊べるよ!
ママ、そんな事しか言えなかったね。
ごめんね。
ICUには三日間程居て、そのまま小児病棟へ移動出来ました。
ユウタ待望の、小児病棟です!
仲良しのお友達と遊ぶ事はまだまだ無理ですが
雰囲気にホッと出来るんでしょうね。
ユウタに笑顔が戻りました。
相変わらず、オチンチンが痛いと言って大騒ぎでしたが
食事も出され嬉しそうなユウタ。
看護師さんも
「ユウちゃん、頑張ったね!」
「お帰り〜♪」
なんて次々声を掛けてくれるのでユウタはニンマリ♪
浮腫んだ顔と頭に巻かれた包帯が痛々しく
後遺症の事などで、パパも私も不安はずっと続いていました。
まだ腫瘍が残っている・・・・・・・。
それは紛れもない事実。現実なんだ。
「ママ、この鶴どうしたの?これ、なぁに?」
「千羽鶴だよ!ママの会社の人達がユウタに作ってくれたんだよ!」
「ユウタの病気がなおるようにって、作ってくれたのかなぁ?」
「そうだよ、だから手術も成功したんだよ!」
「じゃ、治ったらユウタ、アリガトウって言いに行く!
アリガトウってメールしておいてね♪」
神様・・・ユウタ、こんなにいい子なんだから。
お願い、助けてください。
4歳児にとって、ICUはきつかったと思う。
先生からの説明で、術後ユウタが何日か
ICUに入る事は聞いていました。
術後は何か起こる可能性が高いと言う事、
一般病棟よりも看護師さんの目が届きやすいICUの方が
ユウタにとって1番いい環境であると言う事・・・。
パパも私も出来たら1週間位ICUにユウタを
入れておいて欲しいと思っていました。
何かあったら・・・と、とても心配だったからです。
でも・・・ICUは本当にきつかったと思います。
第一に、テレビもない(当たり前ですが)
起き上がれない。
ずっとベットに貼り付けられたまま白い天井を見ているだけ。
食事はまだ禁止。
窓もなく、聞こえるのは心拍などの電子音。
小児病棟の様に、遊んでくれる看護師さんや
ボランティアさんもいない(これも当たり前ですが)
面会に行くとユウタからはすっかり笑顔は消えていました。
「ママ、今日は帰らないで!」
「ずっとユウタと居て!」
「点滴が痛いよ!」
「オチンチンが痛いよ!」→導尿の為。
「みんなのいるお部屋に帰りたいよ」
この状態でユウタにも、自宅に帰るのは無理だと
分かっていたようで、小児病棟へ戻りたいと泣いていました。
小児病棟では仲良しのお友達が出来ていました。
ユウタはお友達作りの天才なのですぐに
誰とでも仲良くなってしまいます。
そんな所が私の自慢のユウタです。
ワガママを言って泣いたり甘えたり、痛がったりするのを見ていて
「かわいそうに・・・。」と、思う反面
「元気な証拠だ」と、安心出来たりもしました。
早くみんなのいる小児病棟に戻れますように!
ユウタの全ての痛みと苦痛が早く消えますように!
早くユウタの笑顔が戻りますように!!!
術後、ユウタとの対面はICUででした。
窓もなく、ひっきりなしに色々な電子音が響き
たくさんの機器がベットを囲んでいます。
私とパパ、両親と親戚がゾロゾロと入って行きました。
大きなベットに小さなユウタがいました。
ユウタの姿に私は言葉がありませんでした。
いつもいつも泣いている私が、涙も出てこない。
瞬きもせず、ベットのユウタを目に焼き付ける様に
しばらく立ちすくんでいました。
頭には2本のチューブが入っています。
その先には髄液を溜めるビニールの袋。
もう1本は術後に脳内からの血液を出す為のもの。
口へは酸素を入れるチューブが入り
酸素マスクも装着しています。
腕に点滴、太ももの付け根から心臓近くまで入っている点滴。
おしっこの、管。
たくさんの線や管がユウタの体に付いています。
ベットの上には常にユウタの心電図、脈拍、酸素濃度などが
冷たい電子音で知らせながら表しています。
術後に執刀して頂いた主治医の先生から
家族に話がありました。
腫瘍は全部、摘出できたのだろうか。
手術中に何も起こらなかったのだろうか。
後遺症はあるのか・・・。
先生は本当に疲れ切った様子でしたが
一つ一つ丁寧に説明してくれました。
「残念ながら全ての腫瘍は摘出、出来ませんでした。」
だけどユウタは頑張ったよ!
すごい頑張った!
えらかった!!!
私は素直にそう、思いました。
残念そうな表情の家族に向けて先生も
「でもユウタ君、頑張りましたよ!本当に頑張りましたよ〜!」
と、言っていました。
先生のお話では、腫瘍の石灰化した部分は触らずに
危険の無い場所のみの摘出、との事でした。
まだ4歳と言う事で、今無理に摘出すると大きな障害が
残ってしまう為に、再発した時点で再手術・・・という様に
あと3,4回の手術が必要になるとも後から聞きました。
4歳で、こんなに大きな手術を乗り越えたユウタ。
ママは心から誇りに思う。
12時間の長い戦い、本当に頑張ったよね!
これからも、一緒に頑張って行こう!
パパもママもチヒロもユウタも、一緒に並んで
どんな山も乗り越えて行くんだよ!
もう、決めちゃったんだからね♪
朝、指定された時間に小児病棟へ行くと
少しだるそうにしたユウタがいました。
眠たくなるお薬を飲んだようです。
まだまだ暑い、9月。
まだ院内では冷房が入り、少しひんやりとしていました。
私はずっと寒気がしていました。
ユウタは今日、これからある事を
看護師さんや先生から聞いているようで
「寝んねしてる間に終わっちゃうんだよ♪」と、
すっかり安心した様子のユウタに少しホッとしました。
手術の前にママが泣いていちゃだめだ!と、
私も一生懸命に笑顔を作ってユウタと遊んでいました。
術後はICUへ移動となるので色々準備して、
ベットごと手術室へと移動しました。
中央手術室・・・。
大きな自動ドアの向こうにユウタは看護師さんに
抱かれて連れて行かれました。
「あぁ〜やっぱ、やだよぉ〜、ユウタやだよ〜」
少し泣きそうな、少し笑ったような表情でした。
「ユウタ、がんばってね!」
あぁ、泣かないで笑って見送れた!
自動ドアが閉まると、ドッと涙が溢れてきました。
ユウタ、絶対に戻ってきてね!
絶対にね!
2005年9月9日 ユウタの手術の日です。
朝早くにパパのお父さんのお墓参りへ行きました。
ユウタの病気を知ってから毎日欠かさず行った
お父さんのお墓参り。
お墓で毎日会う墓石屋さんに
どれだけ怪しく写っていた事でしょう、私達夫婦。
「お父さん、今日のお願いだけは絶対に聞いて!」
パパと二人、長い間手を合わせていました。
私は半月間、どうして生きていられるのか?と言う程
ほとんど何も口に出来ずにいましたので
精神的にも体力的にも限界の状態でした。
パパはそんな私を支えながら、ユウタの事はもちろん
お姉ちゃんのチヒロの事も気に掛け
仕事も休む事無く、頑張ってきました。
そんなパパの精神面も
ギリギリになっていたんだと思います。
二人でコンビニで買った栄養剤を一気飲みして
言葉数も少なく家に戻りました。
空は澄み渡る青空。
日差しもやや緩く、秋の気配漂う爽やかな今日。
後になってこの日を懐かしく想える様な
大成功の手術を期待しながら、
いつもの道のりでユウタの病院へ向かいました。
2005年9月8日
明日9日、とうとう手術・・・・・・・・・・・・・。
まだフワフワした、やわらかい髪と
きれいな頭に傷が出来る。
ただ、転んでタンコブが出来ただけでもドキドキしていたのに
今回で、大きな大きな傷が頭に出来る。
術前の詳しい説明時に、もしかしたら‘もみ上げ‘の辺りに
大きな傷が出来るかもしれないと聞きました。
手術をするのに頭の、どの部分から入って行くかによって
当たり前だけど傷の出来る場所も違ってくるからです。
「どんなに傷が目立つ場所でも全然、構いません。
1番上手くいく所から手術して下さい。」
パパが珍しく強く先生に訴えました。
先生は黙って力強くうなずきました。
先生を信じよう
ユウタを信じよう
自分たちの想いを絶対叶えよう
幸せだったあの日々に戻ろう
手術前日は、パパの誕生日でした。
次の誕生日は皆で笑ってお祝いしようって約束しました。
ユウタにどんなに凄い傷が残ってしまっても
「すごいだろ!これ!」と言って誇れる位のユウタに
育てて行こうってパパと話していたんだよ!
手術が成功して、喜びの涙に変わります様に・・・。
みんなずっと祈っていたんだよ!
ユウタ頑張れ!って。
ユウタの入院中に、看護学校の生徒さんが
実習として小児病棟へ来ていました。
ユウタに担当してくれた学生さんは
大人しくて優しそうな、ホンワカした感じの
女の子でした。メガネが幼そうでかわいらしくて
だけどいつも一生懸命な眼差しが印象的な
キラキラした素敵な方でした。
日中、入院中ベットから出られない子供達にとったら
退屈で、淋しくて、苦痛で・・・
泣きたくなるに違いありません。
ユウタも面会に行くとその退屈さを物語るかのように
ベットの上じゅうに折られた折り紙が散乱していました。
学生さんが来てからは
「今日、ガクセイサンが作ってくれたんだよ!」と言って
大好きなマジレンジャーのカードやお面を見せてくれたり
楽しそうに1日の出来事を話してくれる様になりました。
この小児病棟にはユウタの様な脳腫瘍の子供は少なく
抗がん剤の影響で髪が抜けてしまっている子供達が
とてもとても多く入院しています。
我が子が病気になる前はTVでしか見たことの無い世界。
キラキラと若い学生さん達は、この現実をどう受け止めるのだろうか。
仕事、勉強とはいえ、目を背けたくなる現実も多い病院・・・。
私は心の底から、
ユウタに携わってくれたこの可愛らしい学生さんが
ユウタやその周りの子供達からの「何か」を受け止めて
技術だけではない、暖かな看護師さんになっていって欲しいと
願っています。
ユウタにいつも優しくしてくれて、ありがとう。
ユウタの話を最後までちゃんと聞いてくれて、ありがとう。
学生さんがユウタの苦痛を和らげてくれたんだよ
素敵な看護師さんになってね!
ありがとうございました♪
私は後厄の年であるという事と
そして、今まで悪い事が続いている様に思い
御祓いをしてもらおうと真剣に思い始めました。
小2のお姉ちゃん、チヒロは
ユウタの病気発覚の前日に足を骨折。
1年前はソケイヘルニアの手術も受けたチヒロ。
その1年前には扁桃腺除去手術も受けています。
ユウタは肺炎で2回の入院をしているし
昨年の夏には滑り台から転倒して腕を骨折している。
私やパパには何もないけど、
子供達には次々と何かが起こっていました。
友達や親からも何度か
御祓いしてもらった方がいいよ〜・・・と
言われていました。
神様っているのかな・・・
世の中に無駄な事など1つも無いなんて聞くけど。
ユウタの病気、神様は何の為に与えたのだろう。
な〜んにも悪い事していないのに、ユウタは。
先生から、セカンドオピニオンのお話もありました。
「まだ時間はありますから、納得が出来るまで
他の病院の医師の話を聞いてみるなどして下さい。」
ユウタの病気はとても珍しい病気です。
同じ病を患っている人はもちろん近くに居ません。
病気の種類は全く違うけれど、
大きな病気に苦しむ子供のお母さんに相談してみたり
人伝に頼って情報を集めたり・・・。
小児の脳腫瘍、ユウタの頭蓋咽頭腫には
確定された治療法がありません。
病院や医師によって、手術の方法も治療方針も様々です。
つまり、自分で選択できない子供の為に
信頼出来る病院と医師と、納得出来る治療の方針を踏まえ
親がこれからの道を選択しなくてはならない。
親の責任。
それにしても急な病気の発覚、宣告、
そしてその選択についても、情報は限りなく少ない。
私達は主治医の先生の熱心な説明や、
何とか後遺症を残さないように!という手術の方法に納得して
そして先生に対する信頼が生まれ、決断をしました。
それでもやはり、子供の命や一生に係わる決断です。
心の不安はいつまでも消えないままでした。
「ユウタ、先生がユウタの病気の手術をしてくれるんだよ!
ヨロシクお願いしますは?」
「せんせい、おねがいします!!」
「こちらこそ、よろしくお願いしますね!」
と、小さな4歳児の息子に先生は深々とお辞儀してくれた・・・。
ママはそれが嬉しかった。
手術の日程が決まり、インフォームド・コンセントの日が来ました。
まだ残暑厳しい季節で、まだ半袖だったのを覚えています。
パパ、ママ、私の両親と弟が参加で
主治医の先生からの説明を聞きました。
夜8時から1時間少しのお話でした。
ユウタが受ける手術の方法、手術自体のリスク
後から起こる後遺症や、手術中に起こり得る緊急な事態や
そして最悪な事態・・・。
そして先生からの説明をきちんと受け、納得し、
これからの手術に同意という私達のサインを渡すと言う事。
ユウタの脳の画像が何枚も張られ、ゆっくり丁寧に説明は続きます。
現実をハッキリと見せつけられ、
もう目は背けられないし逃げられないんだと自分に言い聞かせ
冷静に1つずつ受け止めていこう・・・と必死でした。
涙が無意識にポンポンポンポン・・・と落ちていきます。
閉めの甘い蛇口からリズミカルに落ちていくお水の様に。
たとえユウタがどんな状態になってしまっても
パパとママとチヒロでユウタを支えて生きて行こうって
病院の帰り道、パパと車で話したよ。
いつまでも泣いてばかりはいられない。
先生がインターネットなどで情報を集める事も
とても大事だとおっしゃってました。
大事な我が子の病気がどんなもので
どんな治療法があって
完治の為にはどうして行くべきなのかを調べてみよう!
・・・やっと私が前を向き始めました。
全部腫瘍を摘出出来れば完治。
しかし、脳の中央部分に存在する為に
視神経を傷つければ、目が見えなくなる。
下垂体機能が悪くなって背が伸びなくなる。
それこそ、無理に腫瘍を取り出せば麻痺が残ったり
知的障害、寝たきりの状態、呼吸器が無くては生きていけない・・・
残酷な現実がズラっと並んでいます。
近くに立って画面を覗いていたパパが
「もう、見るのやめなよ。」
私が深い所まで落ちてゆくのがパパには見えたんだろうと思います。
ユウタの病気、とても怖くて悲しくて
直視できないで逃げちゃっていたパパとママ。
明るく元気なユウタを見ていると全部が間違いの様で
ウソの様で・・・。
ユウタの病気が発覚する前、春あたりからこんな事がありました。
パパは早い時は早朝4時過ぎに出勤します。
夜は遅い時は夜中1時過ぎに帰宅です。
パパに会えずに2,3日という事も珍しくありません。
パパによるとユウタは深夜、隣に寝るパパを手で探り
パパがちゃんといるかどうか何度も調べていたようです。
手で確認できないと、ガッと起き上がり焦っていたり・・・。
パパが早朝起きて顔を洗っていると
ユウタが起きて来てパパの足にしがみ付き
「会社行かないで〜会社行かないで〜
と、大泣きです。本泣きです。
まるで一生のお別れのように。
それは4ヶ月近くほとんど毎日の様に繰り返されていました。
保育園で入園当時からユウタを見ていてくれた
第二の母の様な存在の保育士先生に相談もして
「淋しいのか、今とても不安定なのか、感受性の高い子だからなのか」と
一緒に悩んでいたのです。
親子の触れ合いが少ないんだ・・・と反省したり。
あの時ユウタはユウタの心の中で
病気による、体の変化を微妙にキャッチしていたのかもしれない。
何かを訴えていたのかもしれない。
そんな風に思うんです。
「どうしてパパが会社に行っちゃう事がそんなに悲しいの?」
「だってパパが死んじゃったら会えなくなるから。」
死とかをよく口に出していたね、あの頃。
すごく怯えていたユウタ。
ママはどうしてユウタの心を暖めてあげられなかったんだろう。
不安な気持ちを吹き飛ばしてあげられなかったんだろう。
大事な時、何よりもユウタやチヒロを1番に考えているつもりでいたけど
そうじゃなかったんだよね。
いっぱい足りないものがあったんだよね。
どの子もみんな同じだと思うけど
子供にとっての入院生活で1番淋しい瞬間は
面会時間終了後、親と離れる時・・・
そして柵のベットでの長い夜だと思う。
ユウタは初日は頑張る所を見せたくて
お兄ちゃんブリを見せたくて、泣かずにバイバイ出来た。
私の方が角を曲がってユウタが見えなくなった瞬間から
泣いて泣いて、どうしようもなかった。
長期の入院の小さな子供は、悲しい位慣れた様子。
それが余計に切なかった。
まだ点滴の処置等なにも付けていないユウタは
身軽なので、バイバイの時は手をつないで
ナースステーション前まで来て、バイバイしていた。
「ユウタ泣いちゃうかも。」
面会終了の時間が近づくとそんな事をずっと
繰り返し言っていたユウタ。
しまいには面会に行って会ったらすぐに帰りの事を心配して
「ユウタ泣いちゃうかも。」を連発だった。
「会ったら、次はバイバイが来るんだ。」
そう感じてしまっていたんだよね。
ユウタの淋しい気持ち、ママも同じだったけど
ユウタの方がイッパイえらかったよ!
夜って長いんだよね〜・・・
大学病院の小児病棟・・・。
書き出すのにはとても辛い現実があります。
私が知らなかった世界、深い世界。
私の様に「現実を受け止める事」に
時間の掛かってしまうお母さんや
廊下で肩を震わせ、泣いているお父さん。
ベットに眠る子供を心配そうに
いつまでも見つめているお母さん。
今にも自分が倒れそうなのに、
毎日早くから夜遅くまで子供に付き添っているお母さん。
子供の眠るベットの脇でひたすら千羽鶴を折るお母さん・・・
私は情けない事にユウタの病気を知ってから
食事を摂る事が出来なくなりました。
無理に食べても飲んでも、戻してしまう状態です。
夜も1,2時間起きに目が覚め、なかなか寝付けませんでした。
心配したパパが看護師さんに相談したようです。
「みなさん、同じなんです。
お母様方は皆さん、同じ状態になられてしまいます。」
優しい看護師さんが個室に私を寝かしてくれました。
「パパ〜、頭痛いからベット行く。」
・・・パパは1度も涙を見せずにユウタと家族を
守ってくれていました。
ママはやっぱりパパと結婚して良かったぁ。
ユウタの入院生活が始まり
私は毎日小児病棟へと通いました。
私は介護の仕事をしていました。
知的の障害を持つ子供達や
身体の障害を抱えた子供達とも携わっていました。
障害を抱えた子供を持つお母さん達の
苦しみや日常生活での大変さ、
そして不安定になりがちなママ達の心のバランスなど
健常に育つ子供を持つ親として・・・よりは
理解しているつもりでいました。
でも本当にそれは「つもり」でしかなかったんですね。
いつも明るく前向きなお母さん達です。
子供に対する愛情も深く深く感じます。
でも我が子に障害がある・・・と知った時
おそらく私が今、襲われている暗闇の中に
そんなお母さん達も立っていたのではないかと思うんです。
いつも明るいお母さん達の影には
重い世界が存在しているのかもしれない・・・。
やっと少しだけそんな親の想いが見えた気がしました。
ママもそんな暗闇の中から早く抜け出して
笑顔いっぱいでユウタの事を守りたくて・・・
だけど頑張ろうとすればする程、どんどん出口が
遠ざかって行ってしまったんだ。
相変わらず、ママは泣いてばかりいて
自分でも嫌になっちゃった。
ゴメンネ、頼りないお母さんだ・・・。
ユウタは腫瘍によって髄液の流れをせき止めてしまっている為
脳内に液が溜まり 「水頭症 」 を併発していました。
頭痛や嘔吐はこの水頭症の為に起こっていたようです。
ユウタの水頭症は腫瘍によって起きているので
水頭症の改善の為だけの処置はしない方針と説明されました。
腫瘍が残っていてはまたすぐに液が溜まってしまうからです。
でもかなり頻繁に頭痛や嘔吐を起こしている今の状態では
やっぱり危険な為、このまま入院して何かあったらすぐに
処置出来る様にしましょう・・・との事でした。
やはり今朝思った通り・・・。
ユウタ、このまま入院なんだ。
でも私達もこの状態でユウタを家に連れ帰すのは怖くて
納得の入院でした。
ユウタは入院と聞いて「やだよ〜」
・・・と、言ってはいますが、まだ余裕な表情です。
優しい看護師さんとニコニコ話しています。
私はいつまでも涙が止まりませんでした。
この日からユウタの入院生活が始まったんだね。
病気との闘い。
パパもママも全力でユウタの事を守るんだって誓ったんだよ。
MRI撮影室から少しだけ笑顔の先生が戻って来ました。
腫瘍の大きさ、位置、など説明してくれました。
今の私の頭の中では、先生の言葉一つ一つ理解していくのに
かなりの時間が掛かってしまうような状態です。
「つまりそれは良い事なんですか?」
「そうですよ、多分 今見る限りでは良性の腫瘍ですから!」
良性!つまり転移はしない!
手術で全部取ってもらえたら治るんだ!
この時、先生の説明によるとユウタは
頭蓋咽頭腫 (ずがいいんとうしゅ) という脳腫瘍の可能性との事でした。
脳腫瘍という大きな病気ではあるけど
ママはこの時、すごくホッとしたんだよ。
でもやっぱり大きな不安の闇だけは
そこにあったんだよ。
ずーっとね。
この病気の怖さをまだパパもママも知らなかったんだ・・・。
もっと詳しくユウタの脳を見るために造影剤を投与して
MRI検査をする事になりました。
その為には点滴をしなくてはならないのです。
ユウタがもっと小さい時に肺炎の為に入院した総合病院では
点滴や注射や服薬等すべて看護師さん数人が
暴れて泣き叫ぶ子供を押さえつけて強引にも実行していました。
そんなものなんだろう・・・と思っていました。
ここの大学病院では、たとえ4歳児であろうと本人が
ちゃんと納得するまで強引に押さえ込んで・・・
と、いった事は絶対にしませんでした。
これは最初から最後まで、そうでした。
小さな事ではありますが、とても嬉しい事です。
眠るお薬を飲んだものの、ユウタは元気いっぱい。
結局起きたまま撮影となりました。
4歳児にじっとしたまま20〜30分は厳しい事です!
しかも数ミリも動かないようにしなくてはいけない!
ユウタの泣き声と、撮影室に一緒に入ったパパの声が
分厚いドアを越えて聞こえてきました。
「悪性では有りませんように。」
「すぐに簡単に治ってしまう腫瘍でありますように」
ママはずーっと祈っていたよ。
みんな、泣いてるママを見ていたけど
とにかくずーーーっと祈ることしか出来なかったんだよ。
病院へと向かう朝がきました。
パパとママとユウタで玄関を出た。
こんな普通の事にも涙が出てきます。
もうしばらく帰ってこないんだな・・・。
帰宅する時にはユウタとは一緒じゃないんだろうな。
パパとママと一緒で、たとえ病院に行くとしても
とっても楽しげなユウタと一緒にいるのが
この時はとても辛かった。
いつもならとても待つ事で有名な大学病院ですが
紹介状を持参していた事や、昨日やむなく帰った事によってか
わりとすぐに診察して頂けました。
「脳腫瘍ですね。」
昨日も聞いたセリフではあっても、何度聞いても信じたくない現実。
総合病院から頂いてきたユウタのCTを見ながら
丁寧に丁寧に分かり易く説明してくれました。
受け止められる許容範囲を遥かに超えた現実に
先生の話が頭に中々入りませんでした。
今でもよく覚えているのが、その診察室で
無邪気にはしゃいでいるユウタが歌っていたのは
私がダイスキでよく車で聞いては歌っていた...
My Little Lover 「Hello,again」 でした。
その歌、よく車の中で
お姉ちゃんのチヒロ、ユウタ、ママで
大きな声出して歌っていたよね。
カラオケでチヒロが何回も歌ったんだよね。
ユウタはその時も頭が痛いって言ってたよね。
ごねんね、気がついてあげられなくて。
明日、病院へ行けばきっと
いや、絶対に入院する事になるんだろう。
長いながい入院となるんだろうな。
今まででユウタは肺炎で2回、入院を経験しています。
子供も辛いが、これまた親も相当辛い。
面会時間終了となると子供はもちろん親も泣いてしまう。
子供はまるで一生のお別れ並みに泣き叫び
その声はしばらく耳から離れない。
肺炎の入院は10日程で退院出来たが
今回はいったいどれだけ入院する事になるんだろう・・・。
まだ何も知らないユウタが
うるさい位に元気におしゃべりしているのを聞いていても
私はパパの助手席で涙が止まらない。
泣いている場合じゃないんだ!
そう思っても思っても・・・。
この日の夜は本当に長かった。
今までの私の人生で
一番長くて辛い夜でした。
ユウタの寝顔を見ていても辛くて
一生懸命、深夜のお笑いTVを見ていました。
一瞬でもユウタの病気を忘れられたら楽になれるのに。
そんな思いでTVを見ていました。
1分1分がとても長くて苦しい夜でした。
ユウタが2度と家に帰って来られない様な事になったら
ママはどうやって生きていこうかって、
そんな事まで考えちゃってたんだよママ。
だめだね〜ママって。
今こうしてユウタが当たり前のように一緒に居ることの
かけがえのなさを痛感しています。
総合病院で渡されたCT画像と紹介状を持って
その足でT大学病院へ向かいました。
MRI検査にて詳しく脳を見てみないと
どんな腫瘍なのかも分からない状態です。
ところが、脳神経外科の先生が緊急オペに入っている、との事で
明日あらためて外来に来る事となりました。
受付でパパが手続きしています。
ユウタは病院にあきてしまっている様子で
チョロチョロと落ち着きが無い。
すごく元気。
全然元気。
なんでもないみたいなのに・・・。
近くの椅子に生まれたての赤ちゃんを抱いたパパさんと
ママさん、お姉ちゃん、お兄ちゃんの家族が居た。
今日、退院・・・といった様子。
ユウタは赤ちゃんがだいすき!
人見知りもしないのでどんどん近づいていく。
「カワイイネ、カワイイネ♪」
ずっと嬉しそうにイイコイイコさせてもらっている。
優しい手。
ユウタはいつも優しいんだよね。
お友達にも先生にもママにもパパにもお姉ちゃんにも。
いつもちゃんと見てるよね、みんなの様子。
さりげなく励ましてくれたり。
こんなに小さいのにもうしっかり
頼りになる、優しい手を
持っているんだよね。
看護師さんの
「お母さん、トイレに行きましょうね!」
という大きな声で我に返り
逃げるようにトイレへ駆け込んで
久しぶりに大声を出して泣いていました。
「どうしよう、死んじゃうの?お母さん、お父さん、助けて」
トイレ内をウロウロと歩きながら、じっとしていられない・・・。
声を出さないで泣かずにいられない・・・。
30過ぎた女が、まるで迷子の子供の様に
大声で泣きながらウロウロしていました。
さっきの看護師さんが来て、何か話しているが全く聞こえない・・・。
「息子は死んでしまうんですか?」
精一杯に聞けた言葉に
看護師さんの悲しそうな困った顔しか見えず
・・・声は全く聞こえません。
大学病院への紹介状とCTを持ったパパと
ピョンピョンはねて、楽しそうなユウタがこっちに来ます。
「ママ〜、何で泣いてんの?ユウタ、大丈夫なんだよ!」
4歳の子供が一生懸命に慰めてくれました。
人目もはばからず、グショグショの顔で泣いていたよね。
ユウタの小さくてあったかい手をつないで
隣にはパパも居るのに、
ママは一人ぼっちになってしまったように
淋しい気持ちだったよ。
CTを見る先生から、しばらくの沈黙の後・・・
「脳腫瘍です。」
・・・ という宣告を受けました。
先生が丁寧に説明をしている様子・・・
ユウタが看護師さんと遊んでいる様子・・・
白く浮き上がったユウタのCT画像・・・
ひざをグッとつかんで先生の話を聞いているパパ・・・
その光景が、ぼんやりとスローに流れたまま私は
誰の声も聞こえなくなりました。
目も口も開いたまま、ただただ涙だけが流れていました。
ユウタが脳腫瘍・・・。
この時の私の心境は、今となって想うと
きっとおばあさんになって最後の時
自分の人生を振り返って
「私の人生、衝撃のBEST10」をあげるなら、
絶対に
堂々の第1位となるであろう出来事でした。
2005年 8月25日 thu
総合病院ではすぐCTを撮りました。
小児科の先生は画像を見ながら
「ここに何か白いものがある感じがしますが・・・。」
・・・という説明。
でも何だか曖昧な感じ。
すぐ脳神経外科へ。
ユウタは退屈な様子。
待合室で無邪気にしている。
私は何を読んでいるのかも分からない状態で
何冊かの絵本をユウタに読んでいました。
パパは不安顔の私を見て
「大丈夫だよ、大丈夫だよ。」と、
それしか言いません。
パパだって不安顔・・・。
私はもう泣き出す寸前でした。
白いものって何だ?やっぱり大きな病気なのか?
どんなに頑張っても、あの時は
前向きな気持ちってものを出せる強さはなくて
ただ不安の暗闇の中に落ちていく自分でしかなかった。
ママはユウタの隣で絵本を読みながら
ギュッと抱きしめて泣きたい気持ちでイッパイだったよ。
翌日、やはりユウタは頭痛を訴え車中で嘔吐。
かかりつけの小児科を受診し
総合病院へ紹介状を書いて頂きました。
「きちんと調べてもらって安心したいよね」
かかりつけの先生の優しい声
いつもの笑顔に少し安心したのも束の間、
紹介状にはしっかりと
「脳腫瘍の可能性」の文字・・・。
「先生、もし脳腫瘍なら、息子は死ぬんですか?」
まだ安心していたくて、
安心させて欲しくて、
先生が笑い飛ばしてくれることに期待して、
・・・そんな事を言ってしまったんだと思います。
ゴメンナサイ。