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よこはま動物園 ズーラシア。 


2008年 4月1日(火)  春休みの外泊中


よこはま動物園 ズーラシア ←(click!)へ行きました。


いい天気でした。



ユウタと同じ、頭蓋咽頭腫という脳腫瘍で
同じく開頭手術を受け 残る後遺症と日々共存しながら頑張っている仲間と一緒に

とても楽しい時間を過ごしました。



ユウタよりも1つ年下の女の子、2人。

車椅子のユウタは、こう 見ていて特別だけど
2人はふと見ても、とても大きな病気をしているとは思えないほど
元気でかわいらしい6歳の女の子です。



だけど、やっぱり普通の元気な6歳の子供と
まったく同じには過ごせない部分を見えないところで抱えていて

それが分かりづらい分、周りからの理解もなかなか得られず
私にさえ気づけない偏見も経験あるのかもしれません。






車椅子にユウタが乗っていなかった頃
大きな体で苦しそうに歩くユウタを見て、笑う人は多くいました。

悔しくて悔しくて
大きな声で世界中に叫びたくなりました。


    「この子は病気によって太ってしまいました!
   
            今も、い~っぱい頑張っているんですーーー!」って。





一見、健康そうな大食漢に見えるユウタなので
容姿を笑われて頭には来るけど、それは仕方の無い事でした。


だけど、車椅子で外出するようになってからは多分
「車椅子=病気の人」という図がパッと人々のイメージ回路に伝わるため
かわいそうな子として捉えられる事が多くなり

もちろん笑われたりする事は全く無くなりました。


車椅子に乗っている限りではね。

車椅子も目立ち
病気である事も、あからさまに目立ち。




そういう事なんだよね。

内部疾患とは。


外見には見えない、体の内部に大きな疾患を抱えている人たちの
理解無き辛さや苦しみ、生きていき辛い世の中を

私は強く感じていました。



IMG_1979b.jpg



それほど混みあってはいない園内でも
昼食のレストランは大変混雑していて

いつもなら「お腹すいた~!」って泣きだすはずのユウタも
年下の女の子2人の前で泣くわけにも行かなかったのかな(^_^;)

じっと我慢して列を並んでいました。




ユウタの注文は「カツ丼」・・・(;∇;)

「今日くらいは、いいよ。」


ユウタは嬉しそうに大切そうに
とってもおいしそうにカツ丼を食べていました。



私にはユウタのその姿が
嬉しい反面、とても切なかったんだよね。




IMG_1980b.jpg





同じ病気とはいっても、その後遺症の状態もさまざまです。


すごいね!ってビックリするくらい元気に走り回っていたり
途中で歩く事も しんどくなってしまっていたり

子供達の様子はみんなが同じではありません。


だから・・・ユウタと比べて、その差をつい感じてしまいます。




比べたって仕方の無い事だし
そんな事より「比べる」なんて、とんでもなく失礼な事なんだろうと思う。


それこそ、私には分からない辛さを
それぞれ内部に抱えているのだから。


そうする事じたいがバカらしい事なんだけど。

分かっているんだけど。


そう自分に何度 言い聞かせていても

ど~~~しても

そういう感覚で同じ病気の子供たちを見つめてしまいます。





IMG_1987b.jpg





今までは、周りにいる同級生の子どもたちが
異常にまぶしく見えて辛かったけど

時間が過ぎる中でだんだんと
そういう事を頻繁に悲しく思う事は無くなりました。


だけど次は同じ病気の子供の中でユウタの状況と照らし合わせるという

そういう自分の愚かな目と心に気が付きました。



それはこのズーラシアで気づいたのではなく
本当は、もうずっと前からそうでした。



同じ病気の仲間に会うのが怖い。


子供たちの繋がりは、この先の未来のために絶対必要だと思っているけど
私には、怖くて怖くて仕方がありませんでした。






みんな、苦しい中で頑張っているのに。

私には届いてこない苦しみが、その子自身にも
そしてその家族の中にも、絶対に重く存在しているというのに。


ユウタだけが、とんでもなくひどい後遺症のように
感じてしまうのです。

何とも自分本位な・・・。




他人の痛みを知る事は
知ろう!と頑張ったところですんなり理解できるほど、簡単ではないと思います。


「分かるよ。」って、そう言いながら
その時は相手の感情を理解しているつもりでも

本当の事なんて、きっと真からは分からないのかもしれない。


私は、そうやって仲間の辛さも
分かったつもりでいただけなのかな。



悲しいけど

同じ病気だと尚更、そうなのかもしれない。



それは・・・とことんひねくれている、私だけかもしれないけど。



IMG_1993b.jpg




帰りのおみやげ屋さんで、チヒロもユウタも色々買っていました。


ユウタは「施設のみんなにあげるんだ♪」と言って
長い時間を掛けて選んでいました。

いつもはケンカやトラブルばかりなのに
こうやって離れてみると、みんなの事を1番に思い出しているユウタ。


泣いて騒いで毎日のようにケンカもするけど
本当はきっと、ユウタはみんなの事が好きなんだよね。








暖かな春の日。


色んな思いが込み上げては、自分で自分が嫌になっていたけど
子供たちが楽しそうに はしゃいでいる姿が胸に沁みて

ちょっとずつ自分も変わっていけるかな?って
そんなふうに感じていました。



1人じゃ歩いていけないからね。

いつも救いの手を差し伸べてくれる人たちに
感謝の思いでいっぱいです。









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[ 2008/04/01 23:59 ] お出掛け | TB(0) | CM(2)

春休みが終わって。 


ユウタは春休みに入る直前に
両足へ、体重の4分の1の負荷を掛けるリハビリを始めていました。

12月末に足の病気を発覚して、手術を受けて
かれこれ3ヶ月ぶりに、足へ負荷を掛ける事になるので
痛みが起こるのではないかと心配していましたが
4分の1では大丈夫なようでした。



足の病気を発覚したその日から、絶対に立ち上がってはいけないと言われ
生活は、ずっとベットか車椅子でしたが

ほんの少しであっても、地に足を付けられる感覚を久々に味わって
ユウタはとても嬉しそうにしていました。



IMG_2421.jpg


↑これはパパが作った、ユウタの昇降台。

外泊の時は施設にいつもお借りしていましたが
かなり重たいので大変でした。

なのでパパが自宅用にと作ってくれました。
こういう時だけパパの行動力はスゴイのです。






両足に力を入れることが禁止!となると
生活のほとんどが非常に不便でした。

想像より、はるかに大変な事なんだなって
そういう事に改めて気が付きました。


重たいユウタの事を抱き上げる事も不可能ですし
うちの狭いバスルームやトイレに車椅子ごと入る事も無理でした。






この昇降台はユウタが車椅子から床に降りるときや
またはその逆で、床から車椅子に乗るときに使用します。

トイレの便座に座るときも、お風呂に入るときもです。


足首の部分を私がつかんで支え持ち
ユウタは腕の力だけで1段1段、昇降台を上ります。

トイレに行ったり、車椅子から降りたり乗ったり。


日常の中では、腕の力だけを使っての「その動作」が
思った以上にたくさんあるので
ユウタも疲れ果て、踏ん張りがきかなくなってしまう事もありました。

私もパパも腰が弱い方なので
中腰でユウタの介助は、とてもきつかったです。






そんな時、いつもユウタが言っていました。

「パパ、ママ、いつもイッパイ迷惑掛けてゴメンネ。」



     迷惑だなんて1度だって思った事は ないんだよ。












春休みには・・・

浦賀に住むイトコの家にも遊びに行ったり
ダイスキなラーメン屋さんに行ったり
動物園に行ったり

遠くはるばる奈良の方から大切な人たちが来てくれたり
いつも仲良しのお友達も遊びに来てくれたりで

笑顔の多い時間の中で過ごせました。




いつも施設で苦しい事は いっぱいあるんだけど

こうやって遠くからも、すぐ近くからも
ユウタを応援してくれる人たちがイッパイいて

みんなが温かく見守ってくれている事を
ユウタ自身でも気が付けたのだと思います。







春休みの外泊が終わって施設に戻るとき
本当は私が泣きそうになってました。

でもユウタは泣かずに戻っていきました。



多分、私の弱さじゃ耐えられないような苦しみもある生活の中へ
ユウタが涙を精一杯の我慢で堪えて入っていく姿に

余計辛くもなったけど

そんなユウタに私の方がいつも支えてもらっていました。



IMG_1736.jpg



誇りにさえ思うよ、ユウタの事。

いつもあなたのそばには
たくさんの味方が付いている事、忘れないでいてね。



頑張っている事が「無駄」になることなんて
絶対にないのだから。

そう自分にも言い聞かせています。










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[ 2008/04/06 23:59 ] 肢体不自由児施設 | TB(0) | CM(1)

ピアニカ。 


2008年 4月10日(木)

入院111日目
手術から106日
施設73日目




施設へ面会に行くと
ユウタ達の居る部屋から「ピアニカ」の演奏が聞こえていました。


今日の宿題はピアニカ。

「チューリップ」と「カエルのうた」の演奏を
皆が いっせいに練習していました。


ユウタは大きな音に頭痛が現われてしまうので
眉間にしわを寄せつつ、それでも必死になっていました。





どうしても同じ場所でミスってしまい
それを覚えられずに、イライラ。

大きな音の中で
頭痛も起こっているし、イライラ。

皆がさらりと演奏している様子に焦りで、イライラ。


そういうユウタの様子に
パパも私もイライラ。(ホント、だめだね~)


イライラぐるぐる悪循環の中で
ユウタは、パパとママとピアニカと 格闘していました。





あ~~~、もうダメだ!出来ないよ!


ユウタがまたキレだしました。

その時・・・



「ユウタ、オレが教えてやるよ!」


お隣のベットにいた男の子(←click!)が声を掛けてくれました。



「ユウタのベットに行こうか?そっちで教えてやるよ!」



男の子は、お母さんに抱き上げられ
ユウタのベットに移ってきました。











ユウタは、その男の子がユウタのベットに来てくれた事だけでも
大感激でいる様子でした。

もちろん、そばに居た私もパパも。



ユウタのベットに2人が向かい合って
一緒に演奏をはじめました。


やっぱり、どうしてもミスってしまうユウタに
男の子は何度も「じゃ、もう1回ね」って合わせてくれて。


泣いたりキレそうになったり、そういったユウタのイライラした様子は
もう すっかり消えていました。






何回か一緒に練習していくと

とうとうユウタが初めて
最初から最後までミスる事無く演奏出来ました。



やったじゃん!ユウタ!


パパも私も、男の子のお母さんもパチパチ拍手!



「ありがとう~、○○君のおかげだよ!」

ユウタは本当に本当に嬉しそうでした。






ピアニカの演奏がきちんと出来た事よりも

きっと、お友達がユウタのためにベットに来てくれた事と
ユウタに優しく寄り添ってくれた事が

何よりも嬉しかったのだと思います。




  「ユウタ、良かったな!俺たち親友だもんな。

     オレは地元にも親友が居るんだけどさ、ユウタも親友だよ!」





男の子は自分のベットに戻ると
一生懸命、今度は「カエルのうた」の楽譜を書いてくれました。

それを見ながら、ユウタは しばらくの間ピアニカに集中して
練習を繰り返していました。









この日の光景と、その時の感動は
今も私の胸に印象深く、鮮やかに残っています。

いま思い出しても涙が出るくらい
この出来事には本当に感激でした。



施設に入ってからは、お友達とのトラブルばかりで
毎日その様子を聞いては、頭を抱えていました。

だから、問題行動を繰り返していたユウタに
こういう事は絶対あり得ないだろうと私は勝手に括っていました。




仲良くしてくれるお友達は、う~んと上級生か
う~んと小さい子。


脳の手術の後から、同級生とのかかわりが
とっても苦手になってしまっているユウタに対して

逆から考えたら周りの同級生の子達も
ユウタとは係わりづらいものなんだろうと思っていました。




活発で、いたずら坊主で
仲間を率いて悪さをするような男の子だったユウタ。

病気をする前の、あのユウタであったら
この施設でも、きっと皆と変わらず仲良くしていたんだろうなと

そんな事を思いながら周りのお友達を
いつもまぶしく見ていました。


悔しさにも似た、悲しい感情を
本当はいつもいつも抱いていました。




でも、ちゃんと居たよ。

ユウタの以前からを知っていなくたって
何の壁も感じさせずに寄り添ってくれるお友達が。



私は本当に嬉しかった。

絶対に忘れないよ。






         男の子が書いてくれた「カエルのうた」の楽譜。

         地元の学校に戻った今でも
         とっても大切に

         とっても、とっても大切に

         ユウタのピアニカに挟まれています。











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[ 2008/04/10 23:59 ] 肢体不自由児施設 | TB(0) | CM(10)

お散歩デビュー。 


2008年 4月15日(火)

入院116日目
手術から111日
施設にて78日目




ユウタの面会へ行くと、施設では自由時間でした。

院内の養護学校から下校して
4時半までは、何をしてもいい時間です。


お部屋の一角に集まって、DS(ゲーム)をしている子や
1つのベットに集まってカードゲームをしている子がいて。

その光景は、近所の公園で子供たちが遊んでいる様子と変わりも無く
ただ違っているのは、皆が車椅子であるという事だけでした。



ユウタはというと・・・

その輪に入る事無く、自分のベットにポツン。


皆がワイワイ大騒ぎの中、1人で宿題をしていました。




「ユウタ、えらいね~!」


そう言って抱きしめつつ、私の心の中では
切ない気持ちに胸が苦しくなっていました。












4月になって、整形外科の先生が変わりました。


全く関係ないけど、その先生は かなりイケメンで(笑)
しかも、私よりもう~んと年下のようで。

まぁ、ホント関係ない話ですけどね( ̄∀ ̄;)



私がチヒロに「ユウタの先生、芸能人みたいな顔をしてるんだよ!」と言うと
チヒロが珍しく、「本当だ~!カッコイイ先生だね!」と驚いていました。

チヒロの判定?は普段、結構厳しい~のです。




ユウタも先生に憧れているようでした。

「ママ、ユウタも頑張って将来は先生みたいにカッコよくなるよ!」って(笑)


なに言ってんの!(笑)
ユウタの方が全然カッコイイよ!と伝えました(*´艸`)




今日は足のレントゲンを撮った、との事。

まだ主治医のDr の元へはフィルムが届いていないので
説明は後日に・・・という事でした。





それと今朝は、朝食前に血液検査もしました。

その結果によると、甲状腺の数値が低かったらしく
次回の検査まで様子を見てみますというお話でした。

高脂血症はリピディル服用(←クリック)の効果がさっそく表れているようで
数値は良い結果との事でした。



1つ問題が解決したかと思えば
次は甲状腺か・・・。












今日は施設に来て初めて

みんなと一緒に夜のお散歩に出ました。




夕飯を済ませてから、みんなはお母さんと一緒に
施設を出て院内のお散歩へ出ます。


これまで何度もユウタを「夜のお散歩」へ誘ってきたのですが

ユウタはママと楽しい時間を過ごせば過ごした分だけ
バイバイが辛くなるから行かない!と言って、断固拒否を続けてきました。


分からなくもない、そんなユウタの拒否の理由。

今までの繰り返されてきた入退院で
バイバイの辛さがユウタをたくさん苦しめてきたのだと思います。






そんなユウタが今日は突然
「みんなと一緒にお散歩に行きたい!」と。


多分、ピアニカの一件(←クリック!)で
ユウタにも、自分に対しての自信がついたのかもしれません。


お友達と仲良く遊ぶ喜びというものを
ユウタが久しぶりに感じ受け

そこから良い意味での変化が起こっているように思えて

「お散歩に行きたい!」というユウタが
私にはとっても嬉しかったです。






ただ問題は1つ。



お散歩タイムには施設内では禁止とされている
「おやつの差し入れ」が行われていたので

その事がとっても心配でした。


面会に来ているお母さんたちは
お菓子のダイスキな年頃の子供たちに
施設では食べる事の出来ないお菓子類を持ってきていました。

子供たちも、それをとても楽しみにしていました。




ユウタは入院中に限らず、普段から
お菓子という物は、ほとんど与えていないので

みんながお菓子を食べている様子を見てしまった時に
どれだけ辛い気持ちになるのだろうかと、ずっと悩んでいました。


だから、強引に「お散歩行こうよ!」とユウタを誘い出す事もせずに来ました。





嬉しそうにみんなの元へ車椅子で走り寄り
持ってきたビーチボールでみんなを遊びに誘うけど

ユウタには、やっぱりみんなのお菓子が目に止まり
「いいなぁ。いいなぁ。」を繰り返し言い続けていました。


メソメソ、涙を浮かべて
「ユウタはダメなんだよね?」って、私へ何度も聞きに来ました。





お散歩に行って、みんなと遊んだり
仲良くなれる事はとっても良い事だ!と思う反面

お散歩に来て、ユウタだけお菓子を我慢させる事により
余計悲しく辛い事を増してしまっているのかなと悩んだり・・・


う~ん、どっちがいいんだろう。



とても複雑でした。






ユウタの気が紛れるように
私はブーツを脱いで、カーペットに上がり

汗ビッショリになって本気でビーチボールで遊びました。

老体に鞭打って(笑)




はたから見たら、おかしなお母さんだったかな。
本気で小学生相手に闘っていました(笑)


「ユウタのお母さん、ばっかじゃね~の?」

「お腹、丸見えだよ!」


・・・な~んて子供たちが食いついてきたら、こっちのもの♪



     じゃ、勝負する?



そう言って、こっちに集中させて
お菓子への神経を「おばちゃんビーチボール大会」に誘導です。








こういう我慢の出来事は
今までも、これからもユウタには仕方が無く続いていく事。


悲しいけど、悔しいけど

こういう事なんだ。




今までも、こういう場面に辛い思いを繰り返してきたけど

いつかは必ず、親の管理下から離れて
自分で自分の体を確認しながら管理して行かなければならないのだから


私と一緒に居るうちに
私がそばでユウタを見ていられるうちに

そういう事が当たり前に思え
当たり前に流せるように

一緒に悩んだりしながら進んで行こうと思っていました。





中学生くらいになれば
コンビニで隠れ食いしちゃうかもしれない。

友達と一緒に、たこ焼きだって買うでしょう。
肉まんだって、買うでしょう。


私が「ダメ!」と怒らずとしても
自分でストップを掛けられるように進んで行くしかないんだよね。









お散歩終了時間が近づくと
ユウタが私とバイバイする時の辛さを想像して
大泣きしはじめました。

小学2年生にもなると
お母さんと離れる事で大泣きしている子は居ません。




ユウタは一際目立つ、大きな泣き声で

「ママ、気を付けて帰ってね~~~」(号泣)








施設を出て、長い廊下を歩いていても聞こえてくるユウタの泣き声は

駐車場の車に乗っても、私の耳に残って
いつまでも響いていました。









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[ 2008/04/15 23:59 ] 肢体不自由児施設 | TB(0) | CM(1)

ボルトに黒い影。 

   

2008年 4月16日(水)

入院117日目
手術より112日
施設79日目



整形外科の先生より、先日のレントゲン結果を聞きました。


大腿骨に打ったボルトの周りが黒くなっている事が判明・・・。

  マクロな微動により黒く映ってしまっただけなのか
  それともボルトのズレが起こって、緩んできているのか
  現時点では、不明。


他のDr や他院のDr に相談するとの事。
それから今後の事を決める、という事になりました。


(;_;) 何もかもが、悪い方へ進んでいるような気さえする。


こんなに頑張ってきてるのにな。


ちっ・・・と、舌打ちしてユウタを振り返ると

「ママ、ユウタは頑張るからね!」



最悪の場合・・・

再手術の可能性もあるのに
入院がまたさらに長くなる可能性もあるのに

ユウタはいつもの笑顔で私の手を握り締めていました。



こどもの笑顔が胸に痛~い時もあります。







2008年 4月17日(木)

入院118日目
手術より113日
施設80日目



連日のように、同室のお友達とのトラブルが多発していて
看護師さんも支援の方もユウタの事で頭を抱えている様子が
私にも伝わっていました。



「お母さん、ちょっといいですか?」

看護師さんが私を呼びに来る事も、ほとんど毎日。


だんだん、私の感情も変わってきていました。

「申し訳ないです。ご迷惑をお掛けします。」


そんな風に謝りながら、でも心のどこかでは

それでも、頑張ろうとしているユウタの気持ちを
もうちょっとだけ汲み取って欲しいという思いも込み上げていました。





物を投げたり、暴言を吐いたり、暴力を振るってしまったり。

確かにそれをしているユウタが1番、いけない。


病気のせいなんだからと
ユウタに「その行為」を認めてあげようなんて、もちろん思わないけど

そうならない為に、改善できる方法が
もう少しあるように感じてなりませんでした。



ユウタが頑張る以外でも
もっと改善するべき事があるのでは?

喉まで出掛かって、飲み込んでいた言葉でした。







そんな中で、今日は嬉しい出来事もありました。



いつも、かなり強力なパワーで
ユウタに意地悪な言葉をぶつけてくる男の子がいます。

お隣のお部屋に居る、ユウタより1つ年上のその男の子は
「デブ!」とか「ウザいんだよ!」とか
何かというとユウタに攻撃してきていたのですが

その男の子が、今日ユウタに
とても優しくしてくれたというのです。

ユウタは話しながら、泣きそうになっていました。



それがとても嬉しかったのでしょう。

私たちが帰るまでユウタは
何度も何度も、その話をしていました。





いつものように朝の時間、同室のお友達とトラブルがあり
ユウタはお部屋を飛び出して、泣いていたようです。

すると、その”いつも意地悪してくる男の子”が
「どうした?」と近寄ってきて


   「オレがみんなに言っといてやるよ。

         また何かあったら、言って来いよ!」


そう言ってユウタの肩を支えてくれた、との事でした。






パパも私も、そしてチヒロもビックリ。

「ホントにホントに、あの子?」



ユウタの話が終わるのを待てずに
私は隣のお部屋に駆け込んでいました。


「○○君、今日ユウタの事を助けてくれたんだってね!
ありがとうね!本当にありがとうね!」


男の子は、いつものように口をへの字にして
ふてくされた表情のままでしたが

ちょっと照れくさそうに

うん、ってうなずいていました。



「また何かあったら、ユウタの事 よろしくね。」


男の子は、「うん、いいよ!」って
今度は少しだけ笑顔でした。






それからというものの、その男の子は
ユウタのベットサイドによく来てくれて

大事にしているカードゲームのカードを持ってきてくれたり
一緒にビーチボールで遊んでくれるようになりました。


お隣のお部屋の男の子たちも、そんな様子を見て
ユウタを遊びの仲間に時々は入れてくれるようになりました。












子供同士の関係に親が手助けできる事も その時期も
少なく短いものであって

悩む事も多いです。


手を差し伸べる事も、ちょっと背中を押してあげる事も
時々は放っておいてみる事も、思い切って突き放してみる事も

大変な治療やリハビリを強いられた特別な環境の中での場合は
なおさら難しくて。

つい過保護になってしまってはいないか・・・
考えてしまう事もあります。




子育てに共通の答えなんかないから
その子にとっての1番を親は探りながら日々を進むんだけど

子供が病気と闘う中での、色んな悩みに加えて
お友達関係の悩みは本当に大変だな~って思います。






「ケンカはやめなさい!」

「意地悪な事を言うのはやめなさい!」

「仲良くしなさい!」



そう言って子供を咎めて、上手く行った例なんかほとんど無い気がする。

その場限りの”ごめんなさい”で終わっちゃうんだよね。


ちょっとしたきっかけで子供が自分たちで自然に変わって行くのを
少しだけ手助けしてあげる事、その加減が難しいんだけど

もっと全体的にぐるっと冷静に見回せば
解決できるユウタのトラブルもあったんだろうな。



今となっては、そう思います。

今だから思える事なんだけどね。









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[ 2008/04/17 23:59 ] 肢体不自由児施設 | TB(0) | CM(7)

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2008年 4月21日(月)

入院122日目
手術より117日
施設84日目



今日は整形外科Drたちの回診の日。

触診等でユウタに特別な問題は見つからず
順調であるとの事でした。


今後の経過として・・・

足への負荷は現在が3分の1なので
5月より2分の1、つまり体重の半分を両足に掛けられる事になり

その後は様子を見ながら4分の3から全体重へ
ゆっくり時間を掛けて行きましょうというお話でした。




内分泌的には今日からチラーヂンが1.5錠→2錠へと増量になりました。

前回、前々回の血液検査結果で
甲状腺の数値が最低ラインすれすれの為
今週から増やしてみる事になりました。










2008年 4月23日(水)

入院124日目
手術から119日
施設86日目



今日は最悪の日でした。

今日こそが最悪の日だ!と思って
そういう日を今まで何日か通り過ぎてきたけど。



私たちが施設に着くとパパと私が
すぐに整形外科のDrと看護科長から呼び出されました。

その時、近くにいたユウタの顔色も変わっていきました。


いつもの呼び出しとは違った雰囲気を
私もパパもすぐに感じ取りました。








今朝も、いつものようにお部屋のお友達とケンカが起こったらしく
原因は、おもちゃの取り合いだったようです。


取り合いというか、私が思うには

ユウタが勝手にお友達の物を手に取り
いつものように、すぐに返せなかったのでしょう。


だから、ユウタ対お部屋のみんなという構図で
これまたいつものように全員から責められたようでした。



そして、これも毎度の事ながらユウタが異常な興奮状態へと陥り
大爆発してぶち切れ

「死んでやる!」と言って外に出ようとしたようでした。



看護師さんが止めに入り
その時にユウタがその看護師さんへ暴力を振るってしまいました。

「わき腹と頭を思い切り、殴った」との事でした。



男の看護師さんだったのですが
午後になって具合を悪くされ、精密検査へ。

異常は無かったものの、休憩されて
夕方から病棟の勤務に戻られていました。






こういう事が
こういう最悪な事が・・・いつか起こると思っていたから

施設への入所も無理だと思いますって
病院ともずっと話し合ってきたけど

やっぱり、本当に起こってしまった。



暴力を振るってしまった看護師さんは
ユウタの担当の方で、1番ユウタと長く携わってきて下さった方でした。

いつも本当に親身になってくれて
どうしたらいいのか、どうすれば1番良いのか
一緒に色々と考えてきてくださっている看護師さんでした。


車椅子に乗ったユウタが
男の看護師さんが精密検査を受けるほどの暴力を振るってしまったなんて。

一体、どれだけ本気で殴りかかったのだろう・・・。

正直、私にもパパにも
ここまでの事態は想像出来ませんでした。




 ごめんなさい。

 本当に、申し訳ありませんでした。



そう謝りながら
目の前にいる先生と看護科長から無言で

「ユウタ君は施設での生活はもう無理!」
「なんて子供なんだ!」

そんなふうに思われているような気がして

こちらから「退所します」と言い出すのを待っているのかなって
そんな事を頭の中でずっと考えていました。




帰り際に毎日「ママ、ユウタ頑張るね!」って
涙をガマンしているユウタの顔が何度も浮かんできて

私は泣く事を止められませんでした。


隣のパパも精一杯だったと思います。

ひたすら頭を下げていたけど
説明出来ない感情が沸き起こっていたに違いなく

その場には、苦しくて重い時間が流れていました。




その後、看護師さんへ謝罪に行くと

 車椅子の子供に対して手を押さえてしまったのが悪かったのです。
 ユウタ君が悪いのではなく、私の配慮が足りなかったのです。


そう、いつもと変わらない笑顔で大丈夫だと言って下さり
逆に私たちへ謝られていました。


看護師さんが幸いにも大事に至らず
その事には心底ホッとしたけど

まったく、もう!・・・って怒られた方が
あの時は、いくらか楽だったような気がします。


申し訳なさと、情けなさと、くやしさと・・・悲しさに
押しつぶされそうでした。











お話が終わった後、私は目が真っ赤だったので
ユウタの所へすぐには戻れず

院内の電話コーナーに隠れるようにして、母親に電話しました。



正直言って母は
ユウタの病気にあまり理解がありません。

ユウタに関する事で困った事態に陥っても
私はこれまで父や母に頼る気持ちが起こった事はありませんでした。



病気の知識も少なく、それは仕方が無い事ですが
この前まで元気だった孫の変化に
私の両親も心が追いつけていないのかしれません。


空腹で泣いたり、感情をコントロール出来なくなってしまっているユウタに
母は「どうしてガマン出来ないの?なんで怒っているの!」と
会うたび何度も何度もお説教していました。


そういう様子に、私も疲れていたし
ユウタも負担になっていたし

1番理解していて欲しい人に分かってもらえない辛さが
今までとっても重かったのです。



だけど、なんだろう・・・


その時は母の声が聞きたくなりました。





「病気のせい?そんなの関係ない!」

「あなたがもっと言い聞かせれば空腹もガマン出来るんじゃないの?」

「ユウタはただ単に、わがまま過ぎるのよ!」

「男の子のくせに、すぐ泣くんじゃないわよ!」

「甘やかすんじゃないの!」



今まで本当に頭に来ていた母の「理解ない言葉」が
この時は無性に聞きたくなりました。


今日の一連の出来事を話せば、きっと
もっとユウタに言い聞かせなさいよ!って怒るだろうって分かっていながら

そういう強気な母の言葉で
私自身を奮い立たせて欲しかったというか

他の事で頭に来て、違う所に視点を変えたかったというか

・・・よく分からないけど。




優しい言葉で慰めてくれる人は
私の周りにたくさんいるけど

何をメソメソしてんのよ!って
この時は、そう叱って欲しかったのかもしれないです。






「お母さん、私 何だか疲れたよ。

この頃、ユウタを連れて消えてしまいたい気持ちになるんだよ。」



この頃じゃないよ。
本当は、ずっと思っていたんだよ。

ユウタは強く生きる事に精一杯頑張っているのに
私はあきらめちゃうんだよ。

こんな事を考えちゃう自分も
こんな事を口にしている自分も
いけない!って分かってるんだけどさ・・・


ダメな親でしょう?





そう言うと、母は「お姉ちゃん、なに言ってんの。」って
ただ私の言葉を聞いているだけで

期待していた強気な言葉がこんなときに限っては無く・・・。



今度、外泊の時に会いに行くからね。

チヒロは元気なの?

2人によろしくねって、ただそんないつもと変わり無い会話で
電話を切りました。





私から母に弱音を吐くなんて
よっぽどダメージ食らったんだな~と、やけに冷静になって
ユウタの所へ戻って行きました。








施設ではいつもと変わらない雰囲気の中で
パパと漢字の宿題に張り切るユウタがいました。

ユウタがすがるような目で私をずっと見ていたのに
しばらく私はユウタと目を合わせる事が出来ずにいました。


パパもユウタに今日の出来事について
たくさん話をしたようなので
私からは何も言わない事にしました。

それが逆に、ユウタの胸に残ってくれるだろうと思ったのもありました。



だけどやっぱり、憎たらしいほどに愛おしい我が子。



とんでもない事をしちゃったけど
暴力に言い訳は何も出来ないんだけど

考えなくちゃいけない事だらけなのに
この時まさに心の中は”からっぽ”でした。





そろそろ、限界なんだろうって感じていました。


この子も、家族も。




  



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[ 2008/04/23 23:59 ] 肢体不自由児施設 | トラックバック(-) | コメント(-)

精神薬。 


2008年 4月24日(木)

入院125日目
手術より120日
施設87日目



今日はユウタのお部屋で定例の子供同士による会議がありました。


それによりベット位置変えも行われましたが

ユウタの位置は今までの位置とは反対側になっただけで
それほどの変化はありませんでした。







今日も看護師さんから色々と話を聞いたのですが

やはり今日のユウタも暴力的な言動が多いとの事・・・


  「ここ 2、3日のユウタ君は特に変です。」


看護師さんも困った様子で細かく話してくれました。







昼過ぎに、こころの科の先生が
ユウタの様子を見に来てくれたようでした。


何か困っているの?
辛い事はない?


そのような内容の事をユウタと2人で話して
その時は、とっても穏やかにしていたようでした。



その後、先生が帰ろうとしたとき

ユウタが看護師さんに何かを言われ
その看護師さんを殴ったり、車椅子ごと体当たりしたとか・・・。




・・・どうしたんだろう。


確かにユウタは感情的にはなってしまうけど
今まで、このような暴力が出た事はありませんでした。


物を投げたり、壊したり
自分の体を傷つけようとしたりはあったけど。





夕刻になり、パパと私と こころの科の先生と
離れた個室で話をしました。



   今までニコニコ穏やかにしていたユウタ君の顔が一変しました。

   ユウタ君の顔つきや目つきが変わっていくところを
   今日はじめて目の当たりにしました。

   お母さんが仰っていた事、よく理解できました。

   確かに、あの様子は脳の障害からだと思います。





先生はとても丁寧に、多分とても気を使われながら
言葉を慎重に選びつつ話して下さっていました。




施設に入所する前に、私たちが
「ユウタに施設は無理な環境だと思います。」と相談した時に

先生も「ユウタ君は大丈夫ですよ!」と言って下さっていたけど

だけど、今日のユウタを先生自身が目撃して
そこで初めて「こういう事だったのですね」と理解しくれました。





ユウタが脳腫瘍の摘出手術を受けた大学病院の
各科先生方や看護科の方々は

手術を受ける前のユウタと接して下さっているので
以前のユウタをよく分かっています。

だから、術後に起こった性格の変化や気性の荒くなっている様子も
はっきりと感じ取ってくれていました。


親であれば、その変化に すんなりと気づけるけど

術後の変わってしまったユウタしか知らない人たちにとっては
正直言って、ユウタの様子を病気に関連付けて説明する事がとても難しく
伝わらない事の方が多いのです。



医療の現場であっても、それは同じなのだと知りました。

それに気づいた時は、この先の不安ばかりが
私たちに、どんどん募りました。




ここの病院へは、ユウタの脳の手術後しばらくしてから掛かり始めたので

術後の変化は親からの説明と
前に掛かっていた病院からの紹介状によって伝えるしかありません。


血液検査の数値のように平均値と比べてパッと分かるものもあれば
このようにメンタル的な部分を測る事など限界があり・・・。




暴力の起こっている事態には
私たちも、ため息しか出ない状況だったけど

先生が「こういう事だったのですね。」と理解を示してくださった事に
あぁ、良かったって心から思えました。












ずいぶん長い間、先生と話をしました。


施設で起こる、お友達とのトラブルに
相当なストレス状態である事は分かっていても

足の治療もまだ終わっていない状態だし
学校の問題もあるし

今、施設を退所するのは無理な事です。



たくさん話し合って、相談して
精神薬を使ってみようという結論に達しました。


施設入所前に「こういうお薬もあるんですよ」と聞いていて
だけど、薬を使ってまで?と反発した私たち。



でも、もう そうも言っていられない。

暴言だけに留まらず
行動にまで及んでしまっている状況で

他の治療中のお友達に何かがあってからでは遅いのだから。










みんな お願い。


確かに問題児だけど
そういう目で見ないでね。

わがままな子だって言わないでね。

甘えてるとか
そういうふうに捉えないでね。

親のしつけが悪いのだと解釈されても構わないけど
この子の頑張りや努力だけは否定しないでね。

脳の手術を受けると
恐ろしい!怖い!なんて思わないでね。




大人の私が施設の廊下にひっくり返って
大きな声で一方通行な気持ちだけを叫びたい気持ちでいっぱいでした。

私の方が、よっぽどわがままだし甘えてるし自分勝手だ。






自分たちで決心しておいて

薬でユウタを落ち着かせる事には
いつまでも悲しい気持ちから抜け出せないままでした。







   



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[ 2008/04/24 23:59 ] 肢体不自由児施設 | トラックバック(-) | コメント(-)

服薬スタート。 


2008年 4月28日(月)

入院129日目
手術より124日
施設91日目



明日は祝日なので、ユウタを迎えに病院へ。


休みが飛んでいる、こういった火曜日の祝日は
外泊できるだけ有難い事!とは思いつつも、結構面倒だったりします。


金曜日の夕方にユウタを迎えに行って
土日を自宅で過ごし

日曜の夕方に病院へユウタを送り
月曜日には また次の日の外泊の為、お迎えに行く。

そして次の日にユウタを病院へ送る


結局、外泊であろうと その他の日であろうと
私が病院と自宅とを毎日往復する事に違いはないんだけど

ユウタを連れて帰ったり病院へ戻ったりを
行ったり来たり・・・。


学校だけは絶対に休ませたくないので
大荷物を抱えて往復します


こういう時、家と病院が遠い場合、とっても大変。

それでも私たちは、車で1時間弱な距離なので
こんな往復ごときで「大変」なんて言っていたら、怒られそうです。







この日の夜から、こころの科より処方された精神薬をスタートしました。


◎ セレネース錠 0.75
◎ アキネトン錠 1mg



この薬の目立った副作用として

首が横を向いたまま、動かなくなったり
ろれつが廻らなくなったり

そういった副作用が起こるようですが
今のところ、そういった症状は無いようです。


様子を見ながら、薬の量を増やしていくとの事でした。






服用後、ねむ~いと言って
ユウタはすぐに眠ってしまいました。




薬に頼ろうって決めたのに、薬に期待しようって思ったのに・・・

私の本当の部分では
いつまでも心が晴れる事はありませんでした。



 何で、こうなっちゃったんだろう。

 何の為に、これまで治療してきたんだろう。

 治療の選択、親の選択・・・

 最善と信じて歩んできた道が間違っていたのか
 今も間違えているのか。



 何の為に、薬に頼ろうとしているの?

 薬を使ってまで、やっぱりこの道しか無いの?


 ユウタだけの問題なんだろうか。

 この子の問題だけが改善されれば、それでいいのだろうか。

 




考えても仕方の無い事・・・。

そう分かってはいるんだけど
心の中ではそんな気持ちでイッパイでした。


この時、この深い気持ちを誰にも打ち明けられずにいました。

5本の指に入るくらい
私にとって本当に重くて辛い時期でした。










2008年 4月30日(水)



いつもどおりに病院へ面会へ行くと

ユウタは支援科の方と一緒にランチルームにて
お誕生会のポスター作りをお手伝いしていました。


精神薬の服用は始まったばかりなので、変化は無いようでしたが

今日も昼休みの部屋会議にて
ユウタへの苦情が盛りだくさんに出たとの事です。



 口の効き方や、態度が悪い。

 食堂に出たり入ったり、煩わしい。


   ・・・その他、色々とね。




ユウタは最近 つい、手が出そうになるらしく。

1度手を出してからユウタも
ますます抑えが効かなくなっている様子でした。


支援科の方によると、子供同士のケンカで
手が出たり出されたりは、よくある事らしく・・・。

だからといって黙認しておきながら、そのまま流す事はないけど
ユウタ君だけが特別ではないよ、と話してくれました。



「今日はユウタ君の方が叩かれていたんですよ。」


そう聞いて何となくホッとしている私も、どうなんだろうね。








病院から帰る時、いつものように施設のドア付近で別れ際
ユウタがニッコリ笑顔で言いました。


「ママ、たまには病院来なくていいよ~。」

毎日、大変でしょう?って。



チヒロと顔を合わせて、同時にビックリ!

「ユウタ、成長したね~!」ってチヒロも大笑いでした。





そうは言っているけど、ママが1日でも来なかったら
絶対に大泣きするんだろうね。

今以上に、問題起こしちゃうんだろうね。


そんな話をチヒロと手をつないで
笑いながら話して帰りました。





  チヒロの手のひらが、とっても温かかったよ。









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[ 2008/04/30 23:59 ] 肢体不自由児施設 | TB(0) | コメント(-)
書いている人

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●冨塚 七枝

神奈川県在住、2児の母。
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Family


僕、ユウタです。 ユウタ


2000年10月生まれ。
現在、特別支援学校1年生。
4歳の時に「頭蓋咽頭腫」という
脳腫瘍を発覚。5歳で再発。

7歳の時 骨の病気である
大腿骨頭すべり症を発症。

現在は汎下垂体機能低下症。
尿崩症。
体温調節障害。
視床下部性肥満
高次脳機能障害

もう少し詳しい経過は
以下↓をご覧下さい。

ユウタは4歳の時に
頭痛と嘔吐をくり返した為
念の為にと受けたCT検査にて
「頭蓋咽頭腫」という脳腫瘍が見つかりました。

・頭蓋咽頭腫
(ずがいいんとうしゅ)
craniopharyngioma
(クラニオファリンジオーマ)

頭痛と嘔吐の症状は
水頭症を併発していた為に
起こっていた症状でした。

腫瘍摘出の為に受けた
1度目の開頭手術では
全ての腫瘍を摘出する事は出来ませんでした。

その後すぐに再燃し
その時もまた水頭症を併発していました。

腫瘍により流れにくくなっている髄液を流しやすくする処置としてすぐにシャント手術を受けました。

2度目の開頭手術には福島孝徳先生に執刀して頂き、見える範囲の腫瘍を全摘出できました。

手術の後遺症により
視床下部性の
汎下垂体機能低下症、
尿崩症
高次脳機能障害に。

使用中の薬は
・チラーヂン
・プレドニン
・成長ホルモン
・防風通聖散
・ゴナドトロピン注射
・ミニリンメルトOD錠

視床下部性の肥満の為、高度肥満に陥りました。


7歳の時に下垂体機能低下症の影響からと思われる「大腿骨頭すべり症」という足の病気になりました。(両側)

両足の大腿骨部分にボルトを埋める手術を受け、リハビリの為、肢体不自由児施設に約半年間入院しました。

小学校は3年生までは なんとか普通級で過ごしましたが
4年生になると同時に「病弱児支援級」を学校に設置してもらい、中学校でも病弱級にお世話になり過ごしました。
高校からは支援学校高等部へ。

●不安な気持ちで
   ここに訪れた方へ

ここに書いてある事は
ユウタに起こった症状と
その経過です。
頭蓋咽頭腫のお子さん全てに当てはまるものではありません。

同じ病気であっても、それぞれ症状も経過も違っています。



私、チヒロです。 チヒロ


1997年生まれ。
現在、専門学校1年生。
一見クールな奴に見られがちだけど、実はかなり笑える女子です。ギターで弾き語りをしたりライブをしたり楽しんでいます。


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