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文化祭。 


2008年 6月4日(水)

入院166日目
手術より161日
施設128日目


これまで使用して来た精神薬(セレネース)は
ユウタの様子を見ていると、全然効いていないという判断で
5月26日(←click)の夜から服用を中止していました。

「セレネース」という薬は精神薬の中では副作用も少なく
精神薬には付き物の「空腹を伴う」という事もほとんど無いと言われている物でした。

ユウタを苦しめている空腹感が
これ以上増す事だけは避けたいと考えてきました。

精神薬には色々な種類があるし
その人によって合うものがバラバラなので
ユウタ君に合うものをゆっくり探して行きましょうという事でした。





そして、服用中止からしばらく経った本日より
新しい種類の精神薬(ルーラン)がスタートとなりました。


前回使用していたセレネースというお薬は
使われてきた歴史も長く副作用も少ない事から
わりと安全だと言われてきた精神薬だったのですが

今日から服用スタートのルーランという薬は
逆に、わりと新しい部類の物だそうでした。


空腹感は人それぞれ、との事・・・。

とにかく少量から服用して行き、様子を見ていく事になりました。



  「ユウタのような脳の手術の後遺症で
  
     このような精神安定薬を使っている子供は多いのですか?」



ユウタ君のようなタイプは非常に稀です。
とても少ないです。

ころっと変化するユウタ君の様子を見てきましたが
明らかに脳障害です。

そのようなお子さんは、本当に稀なんですよ。






・・・・・・・・・・・・・。


「なんで、ユウタばっかり。」




私の頭の中にある「小児脳腫瘍」の世界は まだまだとても狭く
そんな狭い世界の中で私はもがいているだけ。

大きく括り「小児ガン」として見渡せば
私なんて、何にも分かっていないのだろうと思う。

現実は、もっともっと厳しいのだろう。


分かっていても、つい思ってしまう。

こういう時は自分が知る限りの「小さな世界」の中で
どうしても人と比べてしまいます。


そして私も、どんどん捻くれていきました。










今日はユウタが通っている院内の養護学校で
文化祭がありました。


文化祭ステージ。


パパも仕事を午後からの出勤に変更してもらって
一緒に見に行きました。



文化祭では低・中・高学年ごとに発表があり
その中でユウタたちは

オペレッタ風?な劇「お母さんへの贈り物」を発表しました。


ユウタは「アヒルの子」の役でした。


アヒルの子


アヒルなので、衣装は
黄色のTシャツと黄色のズボンと指定されていました。


Tシャツは持っているけど・・・黄色のズボンなんてあるのかな?

それに、児童向けの服なら売っているかもしれないけど
ユウタのように大人のLサイズで「黄色のズボン」なんて、なかなかありません。


あきらめて、ズボンだけは黒で許してもらおうと思っていたのですが
周りのお母さんたちが忙しい中で協力し合って
ユウタにも着られる黄色のズボンをお揃いで買ってきてくれました。




それなのに・・・・・・・(;∇;)


写真のユウタを見てください。

ズボンは黄色ではなく、黒です。



ユウタはまだ、両足に全体重を掛けられない為
車椅子に座っている時は介助がないとズボンが履けないのですが

文化祭当日の朝は、とても慌しく
ユウタに着替えの介助が不可能だったようでした。


あ~~~~~、残念 (>_<)


わざわざ買いに走ってくれたお母さんに
申し訳ない思いでイッパイでした。

それでも、今となってはそれも微笑ましい思い出となっています。

退院後の今も、その黄色い半ズボンを手にとっては
「懐かしいね~」とユウタが喜んでいます。


アヒルの子


ユウタたちの劇は、結構長いものでした。


セリフを覚えられるのか、流れを頭に入れられるのか
みんなの足を引っ張る事にはならないだろうか・・・

当日まで私には、たくさんの不安がありました。


聞くと、やはり午前中の体調不良や頭痛が多く
こんな状態で果たして参加できるのだろうかと、かなり心配でした。





でも、ちゃんと出来ました。

大きな声でセリフも言えていたし
歌も上手だった。


ニコニコと楽しそうに
堂々と発表している姿・・・

色んな感情が入り混じりながらも、ユウタの成長を嬉しく見つめていました。




*******************************************************************




文化祭当日の午後に書いた、ユウタの感想です。




   今日は文化祭の時、緊張したけど、うまく出来て良かったです。
   重心の人たちも頑張れていて、すごかったです。

   ぼくたちは、お母さんへの贈り物をやりました。
   また やりたいです。

   1年生と2年生と3年生で出来て良かったです。
   重心の子も、すごかったです。











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[ 2008/06/04 23:59 ] 肢体不自由児施設 | TB(0) | コメント(-)

施設、最後の夜。 


2008年 6月5日(木)

入院167日目
手術より162日
施設129日目



今日は施設に着くと、何となく・・・・・感じました。


あ~・・・またユウタが暴れたんだな。

そうはっきりと断定できるくらい
鈍感な私には珍しく、そういう空気を感じ取りました。



同室のお友達のお母さん2人が私よりも先に面会に来ていたので
何があったのか、聞いてみました。

優しいお母さんたちは何とも言いにくそうに
一生懸命、言葉をさがしながら話してくれました。



やっぱり、すごいケンカがあったらしい。

ホントに、ものすごいケンカだった・・・と。



お母さんたちも私に、詳しくは話しにくそうにしているので
あまり突っ込んで聞かなかったけど

想像は付いていました。




後から面会にやって来たお母さんは
普段から、誰も面会へ来ない時間帯にも時々ここへ来られているようで

そんな時の様子を
「思い切って言うけどね・・・。」といった感じで話してくれたのですが

「本当にビックリするくらい、ひどい。」と教えてくれました。



落胆する私の周りで
そんな私よりも困った様子のお母さんたちは皆、無言のままでした。




足の病気になってから、私が細かく書いてきた日記も
この日の事は何も記されていませんでした。

そして、この日を最後に
その日記に記すことは もうありませんでした。



施設のベットにて。



その場へ、支援課の方が重たい足取りでやってきました。


「ちょっとね~、本当に困っちゃってるんですよね~・・・。」

ポツリポツリと、やっぱり話しにくそうに
ユウタの様子を話してくれました。


ユウタの担当の看護師さんさえも
「どうしたらいいんでしょう・・・。」と、すっかり頭を悩ませてしまっているとの事。


支援課の方も看護師さんに対して
「ユウタ君の事、私に言われたって困っちゃうのよ。」と半ギレでしたが

それこそ、私に言われても・・・といった内容の話を私にしてしまうほど
ユウタで起こる日々の悩みに混乱した様子でした。



「迷惑掛けてばかりで、本当に申し訳ないです。」

私から言える事は、もう それだけでした。







夜になって、同室の男の子が
ものすごく不機嫌な顔でユウタのところにやって来て

「昼間はごめんね。許してくれないか?」と言ってきました。


お母さんや施設の人に促されてユウタの所にやって来たのが
その男の子の表情を見てすぐに分かりました。


「うん、いいよ!」


ユウタは、とっても嬉しそうに返事をしていました。



昼間 何があったのか、誰とケンカしちゃったのか
どうして、彼が謝りに来たのか・・・

色々聞いても、ユウタは
「思い出せない」「忘れちゃった」と言っていました。









カーテンを閉めて、ユウタを無言でギュ~ッと抱きしめると

「明日もユウタは頑張るからね!」と言っていました。




思えばこの日が

ユウタが施設で朝を待ちわびる、最後の夜でした。









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[ 2008/06/05 23:59 ] 肢体不自由児施設 | TB(0) | コメント(-)

STARs 


2008年 6月6日(金)

入院168日目
手術より163日
施設130日目



履歴を見ると、その日の午前中から お昼過ぎまで
病院からの着信が、私の携帯電話にいくつも残されていました。

その頃、私は金曜日のお昼が めいっぱい忙しいお店で働いていたので
携帯が鳴っている事に全く気が付きませんでした。


その着信の多さから
一瞬にして色んな事が頭をよぎりました。


  ユウタに何かあったのか?
  手術で入れたボルトが ずれちゃったとか??
  再手術が必要になっちゃったとか???

  携帯に何度も掛けてくるって事は、きっと足に何かあったんだ!



ブルブル震えるながら病院に電話すると

「外泊される前に整形の先生が、どうしても今日中に
      ユウタ君のお母さんとお話をしたいようでした。」

・・・との事。


あ~・・・足の事なんかじゃ、ないな。



チヒロはまだ学校で、パパは仕事で帰宅も遅い。

いい年をした大人のくせに、この時はものすごく心細くて
一人で病院へ行くのが怖くて、たまりませんでした。


今日は金曜日なので、外泊の日です。
本来ならユウタを迎えに行く、この金曜日が1番の楽しみでもありました。


病院へ行く時はいつも車で高速を走りながら
カオリンからもらったカエラの曲を大音量で流して

意味もなく、かなり一生懸命に歌いながら病院へ向かっていました。



        息が止まるほど 何に悩むのだろう

        地球に染まるほど 何が変わるのだろう

        私に染めるほど 私がわかるのだろう

        何も怖くない 

        何も怖くない



この日も、ただ がむしゃらに
歌う事だけに集中して病院へ向かいました。


   恐ろしい形相の女が、大音響の中 カエラを歌う・・・。

   「何も怖くない、何も怖くない」・・・って、お前が怖いよ!









病院に着くと、隣のベットのお友達とお母さんだけが まだ部屋にいました。

みんなも金曜日は外泊の為
施設には他に誰も残っていませんでした。


私と、どうしても今日中に話がしたいと言っていた先生は
手術の為、この時 施設には居ませんでした。

「話があるから18時まで待っていて欲しい」という先生からの伝言を
支援課の方から聞いて、少し放心しつつ待つ事にしました。




「先生からのお話、だいたいの察しは ついているのですが・・・。」


そう支援課の方に話すと

戸惑いつつも、「実はね・・・」って、少しずつ話を聞かせてくれました。



察しはついていたものの
その話の内容にはやっぱりショックを受けました。




************************************************************************




お部屋に戻ると、まだ隣のベットのお友達とお母さんが居ました。
お薬の処方に時間が掛かっている様子でした。



「もう、ダメかもしれない。」

そう凹みきっている私を
お友達のお母さんは、一生懸命励ましてくれて・・・。

そのうち、そのお母さんの方が泣いちゃって。



「何とか、ユウタ君に1番いい方法が見つかるように!」



先生が手術を終えられ、私の所へ来るまで

お友達とお母さんは
ずっと帰らずに そばで励まし続けてくれました。



            もしも高い壁にぶつかって 途方に暮れた時は
            目線の先を確かめて!  

            その壁には”ドア”が付いているはず(*^ー^*) 




私のブログの1番右上にある、流れるメッセージの言葉は

このお母さんが後日 送ってくれた
温かなメールの一節です。



*****




何も怖くない、何も怖くない・・・・・


私の頭の中では
カエラの歌がずっとリピートし続けたままだったけど

先生と、支援課の方と、看護師長さんと、看護師さんと、私の5人で
別室に向かいました。



                                  (つづく)






 



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[ 2008/06/06 23:57 ] 肢体不自由児施設 | トラックバック(-) | コメント(-)

失望。 

deni3.jpg この記事は、前回の記事(←click) からの続きです・・・

        ・
        ・
        ・
        ・
        ・

別室で先生からのお話を聞き始めたのは
もう18時半を過ぎていました。

ユウタは確か、食堂で施設の夕飯を頂いたのかな?
そのあたりの記憶は曖昧だけど
とにかく「早く家に帰りたい!」と言って、ユウタがブチブチ怒っていました。


ユウタを他の看護師さんにお任せして
だいたい、1時間弱の話し合いとなりました。





      今回の記事は長くなってしまったので
      追記をご覧になられる方は、「続きを読む」をクリックして下さい。



[ 2008/06/06 23:58 ] 肢体不自由児施設 | トラックバック(-) | コメント(-)

中央分離帯。 

先生とのお話(その時の記事←click)が済んで 病院を出る時は
もう、夜の8時を過ぎていました。


部屋から出ても私は、もう どうしようもない位の号泣状態でした。

だけどそんな状況の中、看護師さんが私に
ユウタの薬を手渡す為の確認作業と説明をしていたんだけど
ホント、無理・・・・・全然聞いていませんでした。(聞けませんでした)


とにかく、早く施設から逃げ出したい!という気持ちだけ。

 「ユウタになんて言い訳(泣いてる事)しよう。」
 「泣きはらした顔で、チヒロを迎えに行けないよ。」
 「早く家に帰りたい。パパに会いたい。」
 

やっぱりユウタは、子供みたいに泣き続ける母親を見て
とても驚いていたのだと思います。
当たり前だけど。

「ママ、ママ、どうしたの?」って
車椅子でぴったりと、私のそばを離れませんでした。


ユウタを不安にさせてしまっているのは重々承知していたけど
どうやっても涙が止まりませんでした。





外に出て、駐車場にポツンとある自分の車を見ると
余計に涙が止まらなくなりました。


「頑張ってきたよね。」


今日の事がきっかけとなって
ずっと抑えていた これまでの気持ちも全部込みで
悔しさが込み上げていたのかもしれません。



お月様 ユウタが心配そうに、私を見上げていて。

              「ママ、早く家に帰ろう」って。 









ここまで、どうやって走ってきたのか・・・


帰り道の高速道路でユウタが

「ママ、ごめんね。」って、私に言ってきました。


ハッとして、バックミラーでユウタを見ると
施設の荷物を抱えたまま、シクシク泣いていました。


ユウタは何も悪くないんだよって何度も伝えて

ママが泣いていたのは
ユウタの事とは全然関係ない話なんだよ~って
それはそれは 必死に言い訳したんだけど。


それでもまた、お互い涙が溢れてきて

   ・・・本当に事故りそうになってしまった。





この時私は、追い越し斜線をかっ飛ばしながら

このまま、この中央分離帯に突っ込んだら
二人一緒に、ほんの一瞬で楽なれちゃうのかな・・・って

そんな事を思っていました。そうね、最低だけど。


ユウタの病気が発覚した当初も、高速道路を走りながら
助手席の私が、運転中のパパに
そんな事をつぶやいて困らせた事がありました。


  あの時、パパはなんて言ったかな。

  思い出せない。









誤解や偏見によって、辛い事は今まで結構あったけど

「病気の事を知らないんだから仕方ない」って
そういう風に自分に言い聞かせてきました。



だけど、医療に携わる方たちに限っては
何があっても絶対的に
ユウタの事を理解してもらえると信じてきました。


この先の人生の中で、きっと「理解してもらえない!」という葛藤の中
ユウタには辛いと感じる出来事は多いのかもしれないけど

でも、その中でも病院や先生たちだけは
ずっと味方でいてもらえるって思い込んでいました。


ユウタにとっても、家族にとっても
ず~っと、1番の「味方」でいてくれるって。


この日、そういうものが一瞬にして消えました。









パパとは、夜通し話し合いました。


  まず、とにかく これからどうしようか。



思う事は、もちろんたくさんあるんだけど

とにかくユウタの為に、これからどうしようか
今は、それだけを考えようよ。


パパだって、きっと泣きたかったと思うけど
とても冷静でした。




  施設は、退所しよう。

  急いで転校の手続きをしよう。


  これまでと何にも変わらない。
  
  今までどおり、あきらめないで頑張っていこう。



たったそれだけの事。
難しい事じゃない。



*******************************************************************




   あの時、パパはなんて言ったかな。

   思い出せない。




ずっと考えてたけど、やっと思い出したよ。


「あきらめないで、頑張っていこう」






結局、どんなに悩んだって・・・いつも答えは同じなんだよ。










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[ 2008/06/06 23:59 ] 肢体不自由児施設 | トラックバック(-) | コメント(-)

クローバーのピアス。 



2008年 6月7日(土)


パパが午前中に施設へ電話をしました。

  「きっと今後も 迷惑を掛けるので、施設は退所します。」



一夜あけて再度話し合っても、パパと私の答えは同じでした。


正直言えば、まだ
”厄介払いされているような気持ち”は消えてなかったけど

こうなってしまった以上、余計な事は頭から離して
ユウタの事だけを考え1番ベストな道を選んだつもりでいました。



ユウタにも、施設へは戻らない事を伝えました。

その時が1番緊張しました。


「本当?もう、ずっと家に居られるの?」って
ユウタは一瞬笑顔になってすぐ

「ユウタが悪いんでしょう?ユウタが暴れちゃったりしたからでしょう?」

そう言って泣き出しました。



パパ、ごめんね。 ママ、ごめんね。



他の病院でリハビリしてもいいって言われたから
施設に居なくてもよくなったんだよ!・・・といった感じの嘘をとっさに付いて

地元の学校に戻って、友達に会おう!
ずっと、家族で一緒に居よう!
家でもリハビリ頑張ろう!

足の為に、まだまだ頑張らなくちゃいけないけど
これから楽しくなるよ~って、そうユウタを盛り上げながら

でも本当は・・・

自分に対しても、そうやって言い聞かせていました。






他院にてリハビリを続ける為に、紹介状は早急に書いて頂ける事となり
あとは、学校の問題だけが残りました。

地元の学校にはエレベーター施設が無く
校内はバリヤフリーの部分と、そうでない部分もありました。


ユウタを受け入れてもらえるのだろうか・・・


 「車椅子だと無理。」

 「そういう子供は初めてで、前例も無いので無理。」

 「何かあっても責任取れないので無理。」



そんなふうに学校から断られる話も よく聞いていたし
何より、その時の私は相当に捻くれていました。


「きっと、この学校からも厄介者扱いされるんだろうな。」

そう思っていないと、断られた時に大きくショックを受けてしまうので
自分が傷つかないように、最初から断られる事を前提に
これからの事を考えていました。




土曜日だったけど、地元の学校に行ってみました。

当番の先生が職員室にいたので
車椅子のまま、ここの学校に復学出来るのかどうか聞いてみました。


すると、あっさり・・・


   「車イスだろうが、大丈夫ですよ!

          彼の戻る場所は、ここなんですからね。」





捨てる神あれば、拾う神あり。

張り詰めていた私の気持ちが
ゆるゆるになって行くのが分かりました。




「エレベーターは無いのですが、背負えば大丈夫ですよ。」

   ・・・いえいえ、絶対に背負えません。


「男の先生なら、背負えますよ!」

   ・・・50キロ以上、あるんです。


「ほんの少し、立ち上がる事も出来ないのですか?」

   ・・・はい。


「昇降機という物があって、きっとそれを使えば大丈夫ですよ。」

   ・・・(涙)




月曜日に改めて、校長先生と詳しい話をする事にしました。


車で待っていたパパとユウタとチヒロに
「ここの学校に、戻れる事になったよ~!」って報告しました。

「多分ね」・・・って付け足す事もなく。










そういや今日は、6月7日。

・・・・・私の誕生日だったんだ。


色んな事でゴタゴタとしていて、すっかり忘れていました。

しかも、精神的ダメージと緊張からか
1日中 酷い頭痛と吐き気でヨボヨボでした。


そんな時、チヒロとユウタから
思いがけないプレゼント。


2008年6月7日


そういえば・・・午前中、ほんの1時間くらい
パパが子供たちを連れて、どこかへ出かけてました。

私は誕生日だという事をすっかり忘れていたので
(覚えていたら、ピンときていたはず・笑)

近所の公園にでも行ったのかな~って思っていたんだけど
その時に買ってきてくれたようでした。


clover pierced earrings♪



チヒロとユウタが、お小遣いを出しあって
買ってきてくれた四葉のピアス。


宝物が、また一つ増えました。

最悪そうで 実は幸せだった、私の3●回目の誕生日でした。











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[ 2008/06/07 23:59 ] 日常 | TB(0) | CM(4)

1日でも早く。 


2008年 6月9日(月)


この時、ユウタの乗っている車椅子は施設の物を使用していたので
施設を退所するにあたって、1番最初にどうにかしなくてはいけない問題は

今後使う 車椅子を
他から借りなくてはならない、という事でした。



この頃のユウタはまだ、全体重を両足に掛けられない状態だったので
まだまだ車椅子の使用が続くと分かっていましたが

今後、せいぜい半年位で何とかなるのではないかと
素人考えですが、私たちは そんな予測を立てていました。


車椅子。



買うか、借りるか。

調べると、市の社会福祉協議会で
2ヶ月間(延長申請すれば最長3ヶ月間)車椅子をレンタル出来ると知り
ユウタを連れて大急ぎで社会福祉協議会へ向かいました。


今日の夕方には、退所の手続きと
置いたままの荷物を取りに施設へ行くので
その時には今の車椅子も返却しなくてはなりませんでした。

だから、必死でした。



社会福祉協議会には、ユウタがその時使っていた車椅子よりも
ほんの少しサイズが大きいだけで、使用方法も乗り心地も
ほとんど変わりのない車椅子があったので、それを借りました。








学校の転入について詳しいお話をする為
午後から、パパと私とユウタの3人で学校へ行きました。


急な事にもかかわらず
校長先生も教頭先生も保健室の先生も

「ユウタ君、待ってたよ!たくさん頑張ってきたね!」って・・・

優しく笑顔で対応してくれました。


それを聞いた時、母親である私の方が感激してしまって
校長先生たちに飛び付き、泣きたいくらいでした。



転校、転入にあたっての手続きを教えて頂き
これまでの病気の経過や、施設であった色々を素直に伝えました。


ユウタは1年生の2学期までは この学校に居たので
その時の荒れっぷりは先生方も、もちろんご存知でした。

ただ、このような事態に陥る程では無かったのにね・・・と
私たちの話す内容には驚きを隠せない様子でした。







さて、車椅子のユウタ君。

色んな問題はあるけど、大丈夫ですよ。
先生たちも、ユウタ君が1日でも早く学校に来られるように
大急ぎで何とかしますからね。



そう言って、校長先生も教頭先生も
最初から最後まで、私たちにずっと笑顔でいてくれました。



こちらの学校でユウタを
受け入れてもらえるのだろうか・・・といった不安は

「車椅子だから」という事だけではなくて

施設で起こしてきた問題や、今のユウタの精神状態を伝えれば
きっと困惑されるだろうという不安も大きくありました。


でも、その点に付いて先生たちは ほとんど問題視せず
「そうだったのですか」と、苦笑いでスルー。



  「1年生の時も、少しずつ落ち着いてきた矢先に
   今回の「足の病気」となってしまったのですよね。

   だからきっとユウタ君は大丈夫ですよ。」




あの頃から、もう半年も経っていて
今のユウタの方が、うんと荒れているのに。

先生たちは不安な様子を
ほんの少しも私たちへ見せる事なく

ただ目の前に居るユウタの、これからだけを信じてくれました。


それが何より、私たちを勇気付けてくれました。






それからは、バリアフリーの行き届いてない部分について
長い間、話し合いました。


  2年生の教室が2階である事。

  トイレの事。


細かい事を書き出せば、たくさんの問題があったけど

とにかく、出来る限り大急ぎで問題を解決して
「1日でも早く、ユウタ君が学校へ来られるように」と
学校は協力してくれました。



2階の教室へ行くための階段は
「昇降機」というものを使う事になりました。

車椅子に乗ったまま、階段を昇降できるコンベア式の機械です。


市内には、この「昇降機」という物が1台
小・中学校用に用意されているとの事でしたが
その時 この学校には置いてありませんでした。


「その昇降機を準備するのに、少し時間が掛かってしまうかな。」

先生は、そう申し訳なさそうにユウタへ説明していました。



「どれくらい、掛かりそうですか?」

「う~~~ん、多分2日は掛かるかと思います。」



・・・・・・全然、良いですよ~ (;∇;)


私たちの中では「1週間くらい掛かってしまうのかな?」と予測していたので
たった2日ほどで学校に復学できるなんて、思ってもいませんでした。




*****




 「1日でも早く。」

先生たちが想ってくれている「1日でも早く」の気持ちが
心に染み入りました。



そしてユウタは久しぶりに
心からの笑顔で

「よろしくお願いします!」と、先生たちに挨拶をしていました。









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[ 2008/06/09 23:59 ] 小学校 | TB(0) | CM(0)

サヨナラ施設。 


2008年 6月9日(月)



この日は朝から、とても慌しくしていました。(その事の記事←click!)

これからユウタが使用していく車イスの調達と
それから、地元の小学校へ行き
これまでの経過と現在の様子をお話して・・・

身体的にも心的にも落ち着かず、バタバタしていました。




「ユウタにとって1番良い方法を!」と、思い悩み
施設を退所する道を私たちで決断した以上は
それに向かって突き進む事以外はありませんでした。


大変だとも、面倒な事になったとも、思いませんでした。

でも、心のどこかでは・・・不安もありました。


 どんな事があっても
 ひたすら頭を下げて下げて、下げ続けて

 どんなに苦しくても
 ユウタの心と私たち家族の心が壊れたとしても

 それでも施設で過ごしながら、足のリハビリを続ける事が
 本当はユウタの為なんじゃないか?




心の中で繰返す自問自答。

立ち止まったら、前へと進めなくなりそうで。


きっと、パパも同じだったのでしょう。

言葉数少ない中で、これからの手続きとスケジュールについてだけ
パパはわざと明るい調子で話していました。










夕方6時、家族そろって施設に行きました。


大まかに言えば
施設退所の手続きと学校の転校手続きの為です。

施設の方々や整形外科の先生たちと、お話の約束もありました。



突然の施設退所、突然の転校で
本当にたくさんの方々に迷惑を掛けてしまいました。

私たちは最初から最後まで
問題の多すぎる患児&家族でした。



心深くに、しまい込んである大きな失望(その時の記事←click!)は、
変わらぬ痛みのままだったけど

私たちの想いは すべて話せたし
先生も私たちへ伝えてくださったし・・・きちんと出来て良かった。



私は・・・というか、きっとみんな同じだと思うけど

子供の病気に関する事で、小さな事でも疑問があったり、治療に不安があれば
こちらが納得できるまで、その答えを繰り返し聞きまくります。

その代わり、こちらもそれなりに
得られる限りの知識を持つ努力もします。


先生によっては、そういう患児の親は面倒かもしれない。

露骨にため息付く先生もいるけど
誰にどう思われようが、そういう所だけは強気な私です。

普段の人間関係では小心者なんだけど
子供の病気に関する事だけは、Dr の顔色なんて気にしません。



ユウタの整形外科の先生は、私の質問攻撃に嫌な顔一つせず
いつだって誠実に答えてきて下さいました。


「原因は分からない」といった結果に納得出来ないのではなく

その答えに辿り着くまでの事や今後を
こちらへ分かりやすく説明してさえくれれば
不安の受け止め方も、ずいぶんと違ってくると思います。


思い返せば、先生はいつも
誠心誠意を持ってユウタの病気を診てきて下さっていました。



夕食後、みんなが夜のお散歩に出かけた後。

施設のお部屋でユウタと私が宿題をしていると
時々、覗きに来て話しかけてくれました。

もうやだ!って半ギレ状態のユウタに優しく声を掛けてくれて
そのお陰で救われた事も、何度かありました。


施設内には、毎日のように数人の整形外科Drが視えますが
ユウタの先生が、1番遅くまで子供たちの様子を見に来ていたような気がします。


ユウタも先生が大好きでした。

私も、心から感謝していました。



だから、私の心に残っている痛みとは切り離して
先生には今後も続けてユウタの足を診ていって欲しいと お願いしました。

先生も、快く引き受けて下さいました。











施設のお部屋に行くと
入所中の子供達が いつもと変わりない様子でいました。

ただ、ユウタが施設を今日、この時間に退所していく事を知り
少しだけ戸惑った様子のお友達も居ました。


私は、ただ淡々と荷物の片づけをしていました。

感情的には、とても複雑な想いもありました。

それが溢れないように
ただただ黙々とカバンに荷物を押し込んでいました。


ユウタがポツリ・・・「ユウタ、退所のお別れ会も出来なかったな。」

それを聞き逃さなかった施設の支援課の方が
お部屋のお友達を集めて、急遽 3分くらいの「お別れ会」をしてくれました。









今まで使わせて頂いていた車椅子を施設へ返却して

ユウタは新しい車椅子に乗って
私たちも新しい道に向かって歩き出しました。



色々あったけど。

支えられていた事に改めて大きく気が付いて
施設のドアを出た時・・・今までよりも不安は増しました。





希望に満ちた、とは決して言えない状況だったけど
「ここで弱気になっている場合じゃない!」といった自分への強い気持ちは

北海道でユウタの腫瘍の再発を知った時と
どことなく似たようなものでした。











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[ 2008/06/09 23:59 ] 肢体不自由児施設 | トラックバック(-) | コメント(-)

車イス用 階段昇降機。 


2008年 6月10日(火)


今日はパパが、市役所や教育委員会へ行き
ユウタの小学校の転校手続きをしました。

学校に書類も全て提出し
これで学校へは書類上いつでも登校可能になりました。


残る問題は、車椅子で学校生活を送る為の
設備的な問題だけ。




学校の対応は、私たちが思っていたより とても早いものでした。

まず、ユウタの教室は2階なので
車椅子のまま、階段を昇降するための「階段昇降機」を
驚くほど早急に手配して下さいました。


キャタピラ式の階段昇降機 株式会社サンワさんのHPより


↑これと同じ物です。
(もしかしたら、メーカーとかは違っているかもしれないけど・・・)



昇降機の手配など、まだ時間が掛かるんだろうな~と思っていたのですが
昼過ぎに教頭先生から

「今日の夕方に、業者の方と一緒に昇降機が届きます。」と連絡が入り
ユウタを連れて、パパと3人で学校に行きました。



この昇降機を操作するには、業者の方と一緒に研修を受け
書類にサインなどをして提出します。

主に私が登校時と下校時に操作するので
パパではなく、機械音痴な この私が操作を練習する事にしました。

緊急時や教室の移動で操作の必要となる、担任の先生と教頭先生も
後から練習して下さっていたようです。



まずは、業者の方が見本を見せてくれました。

車イスの乗っていない、空の昇降機が階段を昇っていくのを見ているだけでも
その光景に、瞬きも忘れるくらいの衝撃を受けました。


「怖い!!!」

これが私の、正直な第一印象でした。




次に業者の方が実際にユウタを乗せて
階段を昇って行きました。


ユウタは、うはは~って 大喜び!

私は手汗、脇汗、背中汗・・・ビッショリ状態でした。








バッテリー式 車イス用 階段昇降機。

底がキャタピラ式になっていて
分かりやすく言えば、戦車のように階段をずんずん昇って行けるのです。

以下は「なんとなく日記」の”しんちゃん”さんからお借りした画像で説明します。



この写真の昇降機は、多分すこし古いタイプのように思いますが
   まず、車イスを乗せる為に、スロープ部分を引っぱり出します。

しんちゃんさんにお借りした画像です。

それから後ろ向きで車イスを乗せます。
   もちろん、人も乗ったまま。
   私は、力ずくで押し込むように車イスの前方から勢いづけて乗せました。

しんちゃんさんにお借りした画像です。

車イスを4つのベルトでしっかり固定して、シートベルトを装着します。
  そして、階段まで昇降機ごと、手押しで移動します。 (かなり、重たい)
  スロープ部分は中へ しまいます。

しんちゃんさんからお借りした画像です。

階段の所まで来たら、後ろ向きにします。
  なんと、後ろ向きで上がって行くのです(怖) 介助人は上になります。

しんちゃんさんからお借りした画像です。

ぐい~ん・・・って、車イスを持ち上げます。

しんちゃんさんからお借りした画像です。

そして、この状態のまま キャタピラで
ぐんぐん階段を昇って行きます。

昇降機。 株式会社サンワさんのHPより


この通り、階段に乗ってしまえば車椅子の人に合わせた角度なのです。 

段差のたびに、ガグンガグン振動も かなりあって
落ちちゃったらどうしよう!ってヒヤヒヤしっぱなしでした。


階段を昇るよりも、降りるほうが 超~怖い です。


動画にでも撮っておけば良かったと、今はそんなふうに思えるけど
この当時は、毎日の登下校時のたび ヒヤヒヤしながら操作しました。


  写真を貸して下さった「しんちゃん」さん、ありがとうございました。








数回、練習して何とか操作出来るようになりました。

見ている先生もパパも、やっぱり怖かったようです。

乗せられているユウタだけは
「全然、怖くないよ!おもしろいよ!」と大喜びでした。



   これで、階段の昇降問題は解決(*^ー^*)

   残ったのは「トイレ」の問題だけとなりました。



ライン




後から知ったのですが
この階段昇降機では事故も多いようです。

私が使っている時に、ヒヤリとするような事は1度も起こらなかったけど

「前のめりになって転倒したりしないのかな?」って
そんな怖さは毎回感じていました。


誰にでも、車イスに乗る可能性はゼロではないし
車イスだから・・・と、行くのをあきらめる場所があっては悲しすぎます。

全ての場所にエレベーター施設が設置できたらいいのだけど
そうはいかない場所もあるかもしれない。



今回、私たちはこの「階段用の昇降機」に助けてもらいました。

これが無かったら、今の小学校は無理だったかもしれないし
大勢の人に迷惑を掛けてしまったかもしれない。


安全面の改良、改善がされて
誰でも、どんな時でも、どんな場所でも
安心して利用できる物へと変わっていってほしいと思いました。







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[ 2008/06/10 23:59 ] 小学校 | TB(0) | CM(2)

リハビリ再開。 


2008年 6月11日(水)



ユウタが施設を退所して、数日。

「立つ」というリハビリをしばらく受けていない事に
私の中では焦りが募っていました。


施設退所が急だったという事で
これからリハビリに通う病院へは、ごく簡単に事情を説明して
それでも最短の、今日の日に受診予約を入れる事ができました。



今後 通う事になるリハビリの為の病院は
脳の手術後すぐの入院中から、足の病気が発覚する直前まで
ユウタの事をずっと診てもらっていた整形外科とリハビリ科のある大学病院です。

理学療法士(PT)の先生も、ユウタの事をよく分かってくれているので
安心して今後の事をお願いする事が出来ました。



「すべり症だったんですか・・・。」

PTの先生も眉をひそめて、車イスのユウタを見つめていました。



足の痛みを訴え出してから、ここの病院の整形外科を何度か受診して
そのたびに「筋力をつけるしかない」という診断を受けていました。

痛いと訴えるユウタに私も病院も「すべり症」などとは思いもせず
ずいぶんと長い間、辛い思いをさせてしまっていました。

大腿骨頭すべり症という骨の病気は
とっても見つけづらいので、仕方ないのですが・・・。



「私はユウタの脳腫瘍を なかなか見つけてあげられなかった。」

・・・そう、あの時と同じだ。




ライン




まずは、これまで施設で行っていたように
「3分の2」の体重負荷で立つ練習から始めました。

ユウタはすぐに痛みを訴えました。

でも途中で休憩しながら、何度か立ちあがって頑張りました。


平行棒を ぎゅっと掴み
踏ん張った顔をして頑張るユウタの姿を見ていて

涙が出そうになりました。


痛そうで可哀想とか、頑張る姿に感動しているとか
そういう気持ちではなくて

リハビリを再開できた安心感で
ものすごくホッとしたのを覚えています。






これから この病院で週に1度の通院にて
リハビリを受けていく事になりました。


今までは施設に居たので
当たり前のように、毎日 きちんとPTを受けられていたけど

これからは週に1回のPTとなってしまいました。



  「骨は、使っていかないと強くならない。

  多少の痛みはガマンさせて
  自宅でも”立ち上がる”というリハビリをやった方がいいでしょう。」



・・・という事で。

色々と準備をして自宅でも欠かさず
立ち上がるリハビリと筋トレをやっていく事に決めました。










病院にある、福祉用具専門店に寄って
まず、先生に指定された通りの歩行器を1ヶ月レンタルしました。


歩行器(折りたたみ式)


この歩行器を使って、歩くという事ではなく
  まずは「立ち上がる」という事です。

  両足合わせて3分の2の体重を
  左右の足、均等に掛けながら立つのです。


体重計2個。


針で数値を示すタイプの体重計を2つ並べて
歩行器につかまり、ゆっくり 負荷を加減しながら立ち上がります。

左も右も、だいたい15キロ~17キロのメモリを示すようにします。

歩行器から手を離してしまうと
その途端に全体重が足に掛かってしまうので腕にも力が要ります。



足には体重の3分の2、腕には3分の1。

やってみると、これが結構・・・難しいのです。





やっぱりユウタは、立ち上がって数秒で痛みを訴えだしました。

「多少 痛がっても、立たせるように・・・」と言われていたので
1日に1回、最初は30秒立って
日ごとに10秒ずつ時間を増やしていきました。




この頃ユウタは 家での筋トレも、このリハビリも
ものすごく張り切って頑張っていました。


「早く、歩きたい!」

その気持ちの先には
ユウタの心にず~っとにある

色々な夢も希望もたくさん詰まっているのだと思います。





*************************************************************************





病院の帰りに家族で
近所のホームセンターに行きました。


ユウタが学校のトイレで使う「台」をパパが作成するので
その材料などを揃えに来たのですが

なんと、そこでばったり教頭先生と会いました!


先生の手には、ビニールカーテンやら木材やら色々・・・。



    「ユウタ君が明日から学校に来られるように

        先生も急いでトイレの準備をしておくからね~。」





ユウタも、そしてチヒロも感激していました。

「うちらの学校って、すごくな~い?」(ギャル風)



チヒロの言うとおりだよ。


車イスで、しかも色々と問題も大有りなユウタを
温かく迎え入れてもらえた事は・・・

この時も、今も、変わらずに感謝しています。





帰宅後、パパも大急ぎで
ユウタが学校のトイレで使う「台」を作成していました。


全てが整いつつある この日にやっと
ユウタが地元の小学校へ復帰する実感が沸いていました・・・
(*^ー^*)








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雨の初登校。 


2008年 6月11日(水)


今日からユウタは地元の学校に登校です。

だけど当日の朝は、あいにくの大雨!
車イスのユウタにとって、雨は困ってしまう事の1つです。


家の車を停めてあるマンション駐車場には屋根があるのですが
その駐車場へ向かう道には屋根の無い場所もあり
部屋から出て、駐車場に向かうその時点で びしょ濡れです。

学校に着いて、校門の中へと車で入って行き
後部座席から車イスへ移乗する為に屋根を探したのですが
雨を遮る場所は、どこにもなく・・・。


ユウタは後部座席から橋状の長い木の板を使い
横付けした車イスへと滑り台をすべるようにして移乗します。

雨が降っていると、そうした行為だけで
車イスもユウタも かなり濡れてしまいます。





「困ったな・・・どうしようかな。」と、悩んでいると
チヒロが傘をさして、駆け寄ってきました。

登校班で先に学校へ到着していたチヒロは
そのまま教室へと行かずに、外でユウタの事を待っていてくれたようでした。


雨の日が、どれだけ大変なのかを
チヒロに特別 説明なんかしていなかったけど

これまでチヒロもユウタと病気を近くで見てきて、色んな事を感じてきて
自然と優しさが育っていたんだなと、私は本当に嬉しくなりました。

普段はいつも、ケンカばっかりなんだけどね。



雨に濡れても
ユウタが風邪をひいちゃっても

もう、そんなのどうでもいいや!って思える位
私はこの雨の初登校が、とても嬉しかったです。





********************************************************************





さて、問題の「車イス用 階段昇降機」の出番です。


雨で床も階段も濡れて、滑りやすくなっているし
怖くて、もうドキドキしっぱなしでした。

子どもたちも、それはそれは興味津々に車イスのユウタに人だかってきます。

担任の先生も、教頭先生も
他の子どもたちをユウタと昇降機から遠ざからせつつ
私とユウタと昇降機を見守っていました。


「大丈夫?分かる?」

先生も、やっぱり気が気じゃない様子で
昇降機に手を添えて、階段を一緒に昇ってくれました。



昇降機で階段を昇りながらユウタは、そりゃ~もう嬉しそうでした(笑


  「ユウタ君、帰ってきたの?」

  「もうずっと、この学校に来れるの?」

  「ユウタ、おはよう!」

  「ユウタ、おかえり!」


他学年の子どもたちも、お兄さんもお姉さんも
みんなが声を掛けてくれて
懐かしいお友達が、すぐそばに居て・・・。

「すごい機械に乗っているんだね!」と、みんなに注目されて
ちょっぴりヒーロー気取りなユウタ。


車イスのユウタに
みんなは次々と優しい声を掛けてくれました。




2階に無事到着すると、ユウタは嬉しそうに教室へ入って行きました。

もちろんユウタは車イスを自分で動かせるんだけど
子どもたちはみんな、「ぼくが押すんだ!」「私が押すの!」とケンカも勃発。


  ・・・ユウタが勘違いして、調子に乗らない事を祈りました(汗





1,2,3,4,5!




車イスでも使う事の出来るサイズのテーブルを用意してもらい
ユウタの席は、教室の1番後ろでした。


2年1組、朝の会が始まります。

まずは、一人ひとりの出席を確認。
先生が順番に名前を読み上げていきます。


 「○○さん」
 
 「ハイ!」

   ・
   ・
   ・
   ・
   ・

そして、最後にユウタの名前が呼ばれました。


     「・・・・ ユウタさん!」

     「ハイ!元気です!」




みんなは、ちょっぴりザワザワ。

「元気ィ?変なの~」といった様子で振り返っていました。



にっこりと笑顔で、そして大きな声で「元気です!」と答えたユウタに
私はボロボロ泣けました。

「ハイ!元気です!」の返事は
先日まで登校していた養護学校での「朝の挨拶」でした。


号泣してしまいました。






養護学校の先生が、よく褒めてくれていました。

「ユウタ君の元気な挨拶は、素晴らしいです!」・・・って。



地元学校へと戻れた喜びの溢れるユウタの笑顔と
きっと心の中にある、ユウタの淋しさが私にも伝わってきて。

喜ばしい気持ちもあり
本当に切なく、苦しい気持ちでもいました。










パパの作ったトイレ台。


↑この縁台は、ユウタが学校の洋式トイレに座るために
 昨日パパが大急ぎで作ったものです。


障害者用トイレとして学校にも1箇所、広い個室は設置されてはいましたが
ユウタの車イスは入れません。

なので、教室から少し離れた場所にある男子トイレの洋式便座に
この台を車イスから便座までの橋渡り的な役目として設置させてもらいました。

ドアの開閉も出来ないので、カーテンを取り付けて頂き
ユウタ専用のトイレを急遽 作ってもらいました。


この時はまだ、一瞬でも全体重で立ち上がってはいけない時期だったので
リハビリが順調に進んで 1人で立てるようになるまでは大変でした。





色々な人たちの知恵や大きな協力があったからこそ
今日のこの日に、ユウタの地元校復帰が叶ったと思っています。

感謝の気持ちは、ずっと
多分一生消えないと思います。








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[ 2008/06/11 23:59 ] 小学校 | TB(0) | CM(12)

「とろまん」と先生。 


ユウタが地元小学校に復帰の初日だけは
私も丸一日 校内で付き添いました。


学校で過ごす事にあたり、どんな事で困るのか
学校側には、どんな事に配慮して頂く必要があるかも
ユウタが車イスで実際に行ってみないと分からなかったのです。

付き添ってみた初日の様子からして、特に困った事もないだろうと判断しました。

なので次の日からは教室にユウタを送り届けて
私はすぐ帰ることにしました。




クラスのお友達は、みんな親切に手を差し伸べてくれました。

床に物が落ちてしまったり
狭い教室内を移動して物を取りに行かなくてはならない時など
先生もお友達も、色々と助けてくれました。

暑い季節だったのでユウタはいつも首にアイスノンを巻いていましたが
保冷効果は長続きせず、予備として凍らせてもらっている保冷剤を
1階の保健室へ何度か取りに行ってもらったり・・・

クラスメートの協力があったからこそ
このように特別困った事も無く過ごせたのだと思っています。











2008年 6月14日(土)



この日の夕方、先日まで通っていた院内の養護学校の先生が
ユウタに会いに我が家へと来てくれました。

先生が家に来る!という事で、ユウタは大喜び。
そして、やや緊張した様子でした。


「ユウタさん、こんにちは~!」

いつもと変わらない先生の笑顔と、楽しいお話に
ユウタもずっとニコニコしていました。




今、養護学校では どのような話で盛り上がっているか
みんなで、どんな楽しい事をしているか
教室で飼っていたカブトムシが、こんなに成長したとか・・・

学校の事、クラスメートの事、施設の事、色んな話をしてくれました。


施設を突然退所してしまった事や
学校を急に転校してしまった事については一切ふれず

ただユウタに、みんなの近況報告として
先生は楽しい話だけを私たちに聞かせてくれました。


その時の私たちには、それがとても救いでした。



先生とユウタ(施設にて)



先生が帰るとき、ユウタは少しメソメソしていました。

でも、涙は見せないように頑張って
ユウタなりに堪えていたようです。


先生がマンションの駐輪場からバイクに乗って出て行く様子を
ユウタがどうしても見送りたいと・・・。

立つ事も、歩く事も禁止されている状況だったので
汚いベランダに おしりを引きずって出させました。



「先生、ありがとう~(涙)」

「先生、気を付けて~(涙)」


バイクで走り去る先生に いつまでもいつまでも手を振って
ユウタはやっぱり号泣していました。



嬉しさと、淋しさが
きっと半分ずつだったんだよね。



とろまん。


先生から頂いた、おみやげの「とろまん」←Click!
翌日のお昼に家族で食べました。



ホカホカの「とろまん」が
これまで私たちに温かく接し続けてくれた先生と重なって

おいしくて、嬉しくて。



今も温かく胸に残っています。








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[ 2008/06/14 23:59 ] 日常 | TB(0) | CM(2)

ごめんねの手紙と。 


2008年 6月19日(木)


今日は、整形外科と内分泌科の受診後に
先日まで入所していた肢体不自由児施設と隣接する養護学校へ行って来ました。


施設を急に退所して、そのまま学校も転校となったので
お友達や先生に きちんと挨拶が出来なかった事により
ユウタにも私にも心に引っかかっているものが確かにありました。


特にユウタにしてみれば・・・

これまで先に退所していくお友達を「お別れ会」などで見送ってきていたので
自分のパターンが「おかしい」という事に気が付きながらも
大人のように言葉で上手く不安を訴えられる事も出来ず

日々の明るい笑顔の中にも、施設の事や養護学校の事が
時々、浮かぶように表れていました。




「ありがとう」と「さようなら」を言いに行こう!

そう伝えると、ユウタはとても嬉しそうでした。
安心したように喜んでいました。


あんなに嫌がった施設、ケンカばかりだったお友達のこと・・・

それでもやっぱり、行きたいし会いたいし。


ユウタの気持ち。
私にだって、分からないでもないよ。









養護学校の教室に行くと、先生もクラスメートの皆も
ユウタの事を今までと変わらずに温かく迎え入れてくれました。

「ユウタが来た~!」って 驚き顔のお友達や、色々。


離れてから、ほんの少ししか経っていないけど
私は、懐かしいような この空間と香りに涙が出そうになりました。




「先生、ぼく、ユウタ君に言いたい事があります!」

お友達が手を上げました。



   「ユウタの事、いじめてゴメンね。」



それから先生が促したわけでもないのに
次々と子供達がユウタに一言ずつ、声を掛けてくれました。



「ぼくも、ユウタの事いじめてゴメンね。」

「ぼくもイッパイいじめちゃって・・・ゴメンね。」


「ユウタの事を守ってあげられなくて ゴメンね。」

「ぼくもユウタの事、守ってあげられなかった。ゴメンね。」




率直に言えば、私は かなりビックリしました。
そういう言葉が先生の前で出てくるとは思わなかったから。

だから余計にみんなの言葉が、私の胸には響いていました。

最初の「ごめんなさい」には
きっと勇気がいったと思うのです。





最初から、ちゃんと向き合う事が出来ていたら
もっともっと仲良く過ごす事も、可能だったのかもしれない。


私の中では、後悔に近い気持ちも溢れていました。




ユウタも同じ気持ちだったのかな・・・

その後あえて私からは、何も聞かなかったし
言葉も掛けないようにしていました。

ユウタがお友達の言葉を受け止め、いま想う気持ちのそのままを
心に留めておいて欲しいと思っていました。






その後、クラスのお友達一人ひとりが書いてくれた お手紙を受け取って
ユウタはそれを大切そうに胸に抱いて帰りました。



「ユウタのお母さん、絶対見ないでよ!」

子どもたちにはそう、念を押されたけど・・・ごめんね。こっそり読んじゃった。


何度も消しては、書きなおした様子の見える お手紙には

「いじわるして、ごめんね。ほんとうは いつも あやまりたかった。」


ほとんどのお友達のお手紙に
「ごめんね」という言葉が たくさん、たくさん書かれていました。
ともだち。



ユウタは脳の手術の影響で感情的になりやすい部分も確かに秘めていて
だから難しいと思える事も、同学年のお友達よりは多くあるんだけど

病気である事とは離れた部分では
歩み寄れるきっかけさえ、ちゃんと作れたら
こんなふうに前進できるかもしれないって希望が少し沸きました。


みんな、本当にありがとう。

今はそう、心から思っています。



それでも、ユウタと同じ病気の仲間が多く抱える「思春期」の問題は
もう目の前に立ちはだかっている気がするし
母親として落ち着いて構えている!とは決して言えないんだけどね。


ホルモンの関係からくるのか
それとも脳の障害から表れているのか今は不明だけど

この病気の子どもたちから聞こえてくる「幼児性」の抜けない部分に付いても
医療側での研究が、もっと進んで欲しいと切に願っています。




努力で変われる所があるのではないか・・・

そう思って子どもの事を毎日見つめているけど
見えない事ばかり たくさんあります。


私達は がんばる事が嫌なのではなくて・・・

方法が見つからないまま過ごす事、それがとても残酷なのです。




ライン



施設でも学校でも、いろんな事があって
もちろん楽しい事も 日々の中ではたくさんあったんだけど

そこでは厳しい現実と、避けられないこれからの問題を目の当たりにして
私の中にあった「甘い考え」は すっかり飛んでいきました。




当たり前だけど・・・
黙っていたら、誰も助けてくれない。

だからといって必死になって訴えても、通じるとは限らない。
医療の現場でさえもね。


ふてくされて、ひねくれていても、自分にとって ただの悪循環。
ぐるぐる落ちていくだけ。

だから、どうにかしていきたい!という気持ちは
私の中で、どんどん大きくなっていきました。



「勉強になったね。」

人からそう言われると
猛烈に腹が立つ私は、まだまだなんだけどね。


でも、そんな言葉じゃ例えられないほど
確かに私の中にある気持ちは大きく変わりました。

多分、ユウタも。









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[ 2008/06/19 23:59 ] ママの心 | TB(0) | CM(3)

アトムの会。 


2008年 6月27日(木)


後天性脳損傷の子どもをもつ家族の会 「アトムの会」←Click!

こちらの会が主催される交流会に参加してきました。


神奈川リハビリテーション病院の
小児科医師である、栗原まな先生も参加されるとの事で
初めての会へ参加するという不安よりも
学べる事が多くあるのではないかという期待の方がいっぱいでした。



ライン



ユウタが地元校へ復帰する時に、教育委員会の方と面談をしました。

その時、ユウタにある感情面での悩みを打ち明けたのですが
教育委員会経由で保健福祉事務所に お話が伝わり
後日、事務所の保健婦さんより自宅に電話が掛かってきました。


ユウタは無事、地元校へと復帰できたというのに
この当時の私は精神的に・・・今思うと、かなり不安定でした。

電話を掛けてきてくれた保健婦さんと
気が付けば1時間以上も話をしていました。


面識の無い保健婦さんにだからこそ
カッコつけずに、思う事の全てを素直に打ち明けられたのだと思います。
この電話によりユウタの事で解決した事は何も無かったけど
何かにホッとしている自分にも気が付きました。


その後も何度か、この保健婦さんと電話で色々と話をしました。

そしてある日・・・


  「アトムの会」をご存知ですか?

  ユウタ君の抱える疾患とは少し違っている所もありますが
  後天性脳損傷のお子さんを持つご家族の会です。
  栗原まな先生という、素晴らしい小児科医師も参加されています。

  お母さんの今の お気持ちにも、ユウタ君のこれからの不安にも
  何かヒントを得られるかもしれません。




そのアドバイスがきっかけとなり
アトムの会の交流会に参加させて頂く事になりました。


「栗原まな先生」・・・・

どこかで聞いた事があるような。


慌てて本棚をひっくり返して見ると

ユウタが脳腫瘍になる以前に
仕事で携わらせて頂いた方より受け取った本が出てきました。


ふたたび楽しく生きていくためのメッセージ。

ふたたび楽しく生きていくためのメッセージ―後天性脳損傷の子どもをもつ家族との対話
(編著者 栗原まな+アトムの会)



昔、この本を受け取った時にも、私はじっくりと読んだはず。

子を持つ親として、色々と共感できる部分を思い
子ども達や親の苦痛な日々を
想像の範囲で受け止めていた。・・・・・と、思っていました。

きれいごとは言えないです。
だって、正直に言えば その時は「他人事」だったから。
 
まさか、自分の身に降り掛かるとは夢にも思わず読んでいた本でした。







その本を見つけてから その場に座りこみ
食い入るように端から端まで読み返しました。



後天性脳損傷と ひと括りに言っても
脳への障害も、そしてそのきっかけも様々です。

だけど・・・

元気イッパイに笑っていた我が子に
突然起こった出来事への受容が容易ではない事や

周りの環境、地域との繋がり
人との係わりの中で、時に深く傷ついてしまう事など
この本へ書かれている事柄に心の底から初めて共感できました。








アトムの会 交流会には全国からの参加者が集っていました。

遠くはるばる、同じ気持ちを共有できる仲間を求めて
どうにもならない気持ちを、どうにかしたくて、見つけたくて。
そうしてみんな 集まっているんだろうな。

私は自分が「ここへ参加したい!」と思った気持ちを含めて
そんな事を考えていました。


先天性の障害を持つ子どもの親と
後天性の障害を持つ子どもの親とでは
子どもの障害に対する受容に大きな時間の差があると栗原先生が仰っていました。

それは決して「後天性の方が辛い!」という事ではなく
受容に関しての時間の差を先生が感じ、話されている事です。


1つに、元気だった頃の我が子の残像が
原因であるのかもしれない。

そして、避けられたかもしれない運命だったのに・・・という
親の自責の念が一生付きまとう事から、かもしれないし。

だから 5年、10年、15年経てば
子どもの病気や障害を受け入れられる、といったものではないです。



時には辛くて苦しくて、嘆きながら涙をこぼしてしまっても
気持ちが初心に戻っているんだと転換していこう!と話されている方がいました。

受け入れようとしても、それが逆に苦痛な時は
私もそうやって気持ちを転換してみようって、そう思いました。

・・・実際、なかなか簡単では無いんだけどね。




今回はユウタと同じように
脳腫瘍の手術後に起こる後遺症として悩まれている方はいませんでしたが

それぞれの境遇の中で
気持ちの部分では深く通じ合えたように感じました。







途中で退席して、ユウタを迎えに学校へ行きました。


校門で待つ 私に向かって
車イスから「かあちゃ~ん!」って手を振るユウタが

いつも以上に愛おしくて。


口の横には、給食のミートソースが くっ付いているんだけど
とびきり笑顔のユウタが

ホント、なおさら愛おしくて・・・。








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[ 2008/06/27 23:59 ] 日常 | TB(0) | CM(6)
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●冨塚 七枝

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Family

冨塚 七枝


僕、ユウタです。 ユウタ


2000年10月生まれ。
現在、特別支援学校1年生。
4歳の時に「頭蓋咽頭腫」という
脳腫瘍を発覚。5歳で再発。

7歳の時 骨の病気である
大腿骨頭すべり症を発症。

現在は汎下垂体機能低下症。
尿崩症。
体温調節障害。
視床下部性肥満
高次脳機能障害

もう少し詳しい経過は
以下↓をご覧下さい。

ユウタは4歳の時に
頭痛と嘔吐をくり返した為
念の為にと受けたCT検査にて
「頭蓋咽頭腫」という脳腫瘍が見つかりました。

・頭蓋咽頭腫
(ずがいいんとうしゅ)
craniopharyngioma
(クラニオファリンジオーマ)

頭痛と嘔吐の症状は
水頭症を併発していた為に
起こっていた症状でした。

腫瘍摘出の為に受けた
1度目の開頭手術では
全ての腫瘍を摘出する事は出来ませんでした。

その後すぐに再燃し
その時もまた水頭症を併発していました。

腫瘍により流れにくくなっている髄液を流しやすくする処置としてすぐにシャント手術を受けました。

2度目の開頭手術には福島孝徳先生に執刀して頂き、見える範囲の腫瘍を全摘出できました。

手術の後遺症により
視床下部性の
汎下垂体機能低下症、
尿崩症
高次脳機能障害に。

使用中の薬は
・チラーヂン
・プレドニン
・成長ホルモン
・防風通聖散
・ゴナドトロピン注射
・ミニリンメルトOD錠

視床下部性の肥満の為、高度肥満に陥りました。


7歳の時に下垂体機能低下症の影響からと思われる「大腿骨頭すべり症」という足の病気になりました。(両側)

両足の大腿骨部分にボルトを埋める手術を受け、リハビリの為、肢体不自由児施設に約半年間入院しました。

小学校は3年生までは なんとか普通級で過ごしましたが
4年生になると同時に「病弱児支援級」を学校に設置してもらい、中学校でも病弱級にお世話になり過ごしました。
高校からは支援学校高等部へ。

●不安な気持ちで
   ここに訪れた方へ

ここに書いてある事は
ユウタに起こった症状と
その経過です。
頭蓋咽頭腫のお子さん全てに当てはまるものではありません。

同じ病気であっても、それぞれ症状も経過も違っています。



私、チヒロです。 チヒロ


1997年生まれ。
現在、専門学校1年生。
一見クールな奴に見られがちだけど、実はかなり笑える女子です。ギターで弾き語りをしたりライブをしたり楽しんでいます。


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