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近況報告。 

長らく更新をサボっていたにもかかわらず
いつも覗きにきて下さっていた皆さん
本当にごめんなさいでした。

コメントのお返事も大変遅くなりました。

そして、メールを下さった皆さん
本当にありがとう。




環境において、そして色んな気持によりココロが固まって
書けなくなってしまっていましたが

気持ち新たに、また細々と続けていこうと思っています。



テンプレートも変えてみました(*^ー^*)
色々カスタマイズしたりして。

そうしているうちに
何だか書きたい事がイッパイ溢れてきました。










ご報告が遅くなりましたが
ユウタは実は、6月のあたまに退院しました。




いろんな事がありました。

失望感でいっぱいにもなりました。

それ以上に、救いの手もたくさんありました。





今回、治療とリハビリが終了して「治ったよ!バンザ~イ♪」って
大喜び出来るような退院ではなかったのですが

今は自宅にて毎日筋力UPのトレーニングと
週2回の通院によるPTを受けながらリハビリ治療中です。



まだ、車椅子とは完璧にバイバイ出来ない状態ですが
家ではヨチヨチと独歩にて頑張ってます。

PTの先生曰く、生まれたてのアヒルみたい。(ヒヨコだよね)





ユウタは、こちらが見ていて泣ける位
毎日頑張っています。

全てにおいて一生懸命。



それが辛くてたまらない時期もあったけど

その頑張りは誰の為でもなく
ユウタ自身のためだから。





親の私が恥ずかしげも無く、思い切って言ってしまうけど

ユウタは絶対、カッコイイ大人になるよ。
強くて逞しい、大きな優しさを持つ人になるよ。


心からそう思う、今日この頃の私です。





***********************************************************************



応援して下さったみなさん、ご心配お掛けしました。

家族全員、心も体も元気いっぱいに過ごしています(*^ー^*)



ありがとう。



                               2008年 8月12日





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[ 2008/08/12 23:59 ] Free | TB(0) | CM(8)

いろんな想い。 

色んな人がいる。

色んな子供がいる。

その分、色んな親がいる。


子供に対する親の思いも、もちろん色々。



世界中で病気の子供もいっぱいいる。

病気の子供を持つ親も、その数と同じだけいる。


祈り願う思いはきっと近い声だと思うけど
それぞれに色んな思いが込められているんだと思う。

大切な人を想っての、数え切れない祈り。







人からの言葉で傷付くと
その言葉は、私の中から なかなか消えてはくれない。

いつまでも引きずる自分にも嫌気がさして
必死に楽しい事を探して見つけて、気の合う仲間と大笑いしていても
胸からサッパリと消えてくれる事はない。

子供の事になると、どうしても。

自分の事ならネタにして笑って、いつの間にか忘れてしまうんだけど。







色んな人がいる。

いろんな考え方がある。






そうやって、私は私の中で解決出来るように頑張って行こう。


そして自分も同じように。

人を傷つけないように。

1番大切な物を見失わないように。







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[ 2008/08/24 02:41 ] ママの心 | TB(0) | コメント(-)

8月25日。 

3年前の 2005年8月25日。(その時の記事)←click


総合病院にある脳神経外科の診察室で
「お子さんは、脳腫瘍です。」と診断を受けました。

診察室で当時4歳のユウタは ちょろちょろ動き回り落ち着かず
看護師さんがしゃがみ込んでユウタと手遊びしてくれていました。






ユウタが脳腫瘍。

真っ先に「死」を連想しました。


「ユウタが死んじゃう、ユウタが死んじゃう・・・」

それからDrの声も、看護師さんの声も、ユウタの笑い声も
私には何も聞こえなくなりました。

まるで水の中へ潜っているかのように。




隣に座るパパは、膝に置いた手をグッと握り閉めて
先生から少しも目線を離さずに話を聞いていました。


私は誰の声も聞こえないまま、心の中でずっと
「ユウタが死んじゃう・・・」と繰り返していました。

ウソでしょう?とか、どうしようとか、どこの病院へ?とか
そういう動揺は一つも無く。


ただ、ユウタが死んでしまうんだ・・・という「絶望感」だけでした。




自分が泣いているという意識も感覚も無く
ただ開きっぱなしの目から涙が滝のように流れていて。


だけどその時、変に冷静に考えていた事もありました。

「そうだ!ユウタが死んでしまうのなら、私も一緒に死ねばいいんだ。」


他にある同じ位に大切なものの事など何も考えられずに
今、心の全部を占めているこの恐怖と絶望感から逃げ出す為に
自分を楽な方へ導く為に

そういう臨時解決策を自然に打ち出していたのだと思います。



「お母さん、トイレに行きましょうね!」という看護師さんの大きな声で
やっと水中から出られた時のような感覚になり

「ママ、泣いてるの?泣いたらダメよ。」という
ユウタの声が耳に入ってきました。









「ママ、ユウタ大丈夫だよ!だから泣かないで」

まだ4歳だった、あの日のユウタ。


あれから3年経ったけど、ユウタは今も変わらず

「ママ、泣かないで」「ユウタは大丈夫!」とそうやって
いつも私を慰め支えてくれる。

温かい手で、いつだってユウタが私を助けてくれる。


私はと言えば・・・あの頃から少しは強くなれたのだろうか。












3年前のあの日は朝から小雨が降っていて
それでも何となく蒸し暑い残暑の中で

曇り空の遠くから、セミの泣き声が聞こえてきて
時々、雲の隙間から青空が見えて。


学校帰りの子供達の笑い声も
親子で手を繋ぎ、楽しそうに歩いている姿も
普通に歩いているだけの、すれ違う人たちも

みんなが幸福の絶頂にいる存在の人たちに見えて
羨ましくて、妬ましくて、憎たらしくて。


私達だけが全くの別世界に生きているような気がして。






3年経った、2008年 8月25日。


今日も あの日と同じような曇り空。
時々、パラパラと小雨も降っています。

セミの声もまだ力強く聞こえています。


ユウタはここの所調子が悪く、頭を痛がって横になってばかり。
顔も何となく浮腫んでいて、笑顔も少ない。


「頭いたい。」


その言葉に、3年前が鮮やかに蘇る。




人は悲しい記憶、苦しい記憶は
早めに消えるように出来ているらしいけど

なぜか・・・
今も細かな所までも鮮明に覚えているよ、8月25日。





これを書きながら、うかつにも涙が溢れてきて
私はユウタに

「生きていてくれて、ありがとう!」と涙声で言ってしまった。


ビックリする事も無くユウタは

「ママこそ、ユウタを生んでくれてありがとう」って
久しぶりに満点笑顔を見せてくれました。








このまま、このまま、ずっと穏やかな幸せが続きますように。

とびきりの幸福感よりも
長く続く、ありきたりな日常の幸せがいつまでも・・・。






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[ 2008/08/25 14:31 ] ママの心 | TB(0) | CM(1)

24時間テレビ。 

2年前の4月。


ユウタは3月に受けた2度目の開頭手術直後で
大学病院の小児病棟へ入院中でした。

お隣のベットにいたユウタと同じ名前のお兄ちゃん、通称「お兄ちゃんユウタ君」が
その月、辛かった闘病の末・・・10歳で天国に行ってしまいました。

2006年4月10日の記事←(click!)


退院してからしばらくして「お兄ちゃんユウタ君」が
天国に行ってしまった事をユウタに伝えました。

それまでユウタには「おうちに帰ったんだよ。」と伝えていたので
話を聞くと、とても驚き 悲しみをあらわにして叫ぶように泣いていました。




お友達の死を伝える事。

幼いユウタにはまだ早いものかと悩みましたが
「死にたい!」と叫ぶユウタには今、伝える事が正しいと判断したからです。


それでも、どうしても「死」を口にする事は止まらなかったのですが
その直後にすぐ反省して「お兄ちゃんユウタ君」の事を思い出し、泣いています。


頑張っても頑張っても
どうしても生きられなかったお友達の事。

たとえユウタの胸にはまだ重たすぎるとしても
どうしても伝えなくちゃいけないと、私は思っていました。








今日8月31日、19時過ぎから24時間テレビに
「お兄ちゃんユウタ君」の弟、翔太君が出演していました。

「難病と闘う少年と巨人上原投手 約束のキャッチボール」という特集でした。



  翔太君は、次第に体の自由が利かなくなる難病を抱え
  昨年秋に唯一の治療法とされる骨髄移植を受けました。

  翔太君は白血球型(HLA)が適合する骨髄提供者が見つかって
  移植を受けることができましたが
  同じ病気を発症した4歳上の兄・雄太君は
  提供者が見つからず、2006年4月に10歳で亡くなりました。


(読売巨人軍公式HPより←click)




私は「お兄ちゃんユウタ君」が亡くなった直後
弟の翔太君も、お兄ちゃんと同じ病気である事を知りました。






面会ノートを見ると「お兄ちゃんユウタ君」のお母さんは
いつも早くから病棟に来ていて、その少し後に私が来ていました。

午前9時頃です。


それから21時過ぎまで「お兄ちゃんユウタ君」のお母さんは
病棟に付きっきりの状態でした。



私は「お兄ちゃんユウタ君」のお母さんの、疲れた顔を見た事がありません。


看護婦さんと言い争う場面も
お母さん同士で愚痴を言い合う所も
子供にイライラしている所も

落胆の表情も
悲しい顔も。



思い出すのは・・・笑顔と優しい声なのです。







私はその逆に、いつも眠ってばかりのユウタのすぐ脇で
暗い表情のまま、泣いてばかりいました。


ひたすら千羽鶴を折り
看護婦さんが来ても言葉を発する事無く
「誰も話かけないでバリア」を張っていました。

ユウタが空腹で泣いたり騒いだり、大声を出すたびに
正直いえば最初は周りの目も気になっていたし
誰か助けて!と、逃げ出したくなる時もありました。



術後でまだ意識の遠い時は
ユウタが痴呆症状に似た事ばかり言っていたので

「このままの状態で生きていくのは辛すぎる」と勝手に決めつけ
治療も信じられず、医師の言葉もウソに感じて
「もう、ダメだ~・・・」と希望も何も失くしていました。




そんな時、私のバリアを破って語りかけてきてくれたのが
「お兄ちゃんユウタ君」のお母さんでした。

強引に入り込むのではなく
彼女とは年齢もそう変わり無いなずなのに
何だか昔感じた「お母さんのぬくもり」的な温かさを感じる人でした。


ユウタの状況よりも「お兄ちゃんユウタ君」の今の状況の方が
明らかに大変なんだと、私にも分かっていました。

それなのにいつも、私が励まされていました。




「ユウタママ、いつもとっても頑張ってるね!」

「素晴らしい執刀医とユウタ君を繋げたユウタママの行動力はすごい事よ!」

「ユウタ君のカワイイ笑顔は、ユウタママの影響よね!」


だから、な~~~んに間違ってないのよ♪って。





頑張れ!とか、一言も言わないけど

さりげない温かな言葉を頂くたびに
「私もこういう人になりたい」と強く思っていました。



1度だけ・・・

閉め切られたカーテンの隙間から
「お兄ちゃんユウタ君」のお母さんが
声を堪えて泣いている姿を見た事がありました。










今日 テレビを通して、元気になった翔太君の姿と
感涙を流す、お母さんの笑顔を初めて見ました。


「お兄ちゃんユウタ君」の遺影と共に
笑顔いっぱい溢れるご家族の姿から

私はまた色んな力を頂きました。





ユウタもテレビを観ながら、大きな声を出して泣いていました。

チヒロも珍しく、涙を流しながら観ていました。


私もパパも言葉なく、ただ涙が止まらなくて。

でも、きっと考えていた事も、改めて強く感じた事も一緒だったと思います。








「お兄ちゃんユウタ君」が亡くなってすぐ
私はパパと骨髄バンクに登録しました。

居ても立ってもいられない衝動に駆られました。


同じく24時間テレビを御覧になっていた多くの方々も
きっと心を動かされたに違いないと思います。


1人でも多くの方が骨髄バンクに登録され、尊い命が救われる事を祈っています。







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[ 2008/08/31 23:59 ] ママの心 | TB(0) | CM(4)
書いている人

ななえママ



●冨塚 七枝

神奈川県在住、2児の母。
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●メールは右サイドバー1番下の
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Family

冨塚 七枝


僕、ユウタです。 ユウタ


2000年10月生まれ。
現在、特別支援学校1年生。
4歳の時に「頭蓋咽頭腫」という
脳腫瘍を発覚。5歳で再発。

7歳の時 骨の病気である
大腿骨頭すべり症を発症。

現在は汎下垂体機能低下症。
尿崩症。
体温調節障害。
視床下部性肥満
高次脳機能障害

もう少し詳しい経過は
以下↓をご覧下さい。

ユウタは4歳の時に
頭痛と嘔吐をくり返した為
念の為にと受けたCT検査にて
「頭蓋咽頭腫」という脳腫瘍が見つかりました。

・頭蓋咽頭腫
(ずがいいんとうしゅ)
craniopharyngioma
(クラニオファリンジオーマ)

頭痛と嘔吐の症状は
水頭症を併発していた為に
起こっていた症状でした。

腫瘍摘出の為に受けた
1度目の開頭手術では
全ての腫瘍を摘出する事は出来ませんでした。

その後すぐに再燃し
その時もまた水頭症を併発していました。

腫瘍により流れにくくなっている髄液を流しやすくする処置としてすぐにシャント手術を受けました。

2度目の開頭手術には福島孝徳先生に執刀して頂き、見える範囲の腫瘍を全摘出できました。

手術の後遺症により
視床下部性の
汎下垂体機能低下症、
尿崩症
高次脳機能障害に。

使用中の薬は
・チラーヂン
・プレドニン
・成長ホルモン
・防風通聖散
・ゴナドトロピン注射
・ミニリンメルトOD錠

視床下部性の肥満の為、高度肥満に陥りました。


7歳の時に下垂体機能低下症の影響からと思われる「大腿骨頭すべり症」という足の病気になりました。(両側)

両足の大腿骨部分にボルトを埋める手術を受け、リハビリの為、肢体不自由児施設に約半年間入院しました。

小学校は3年生までは なんとか普通級で過ごしましたが
4年生になると同時に「病弱児支援級」を学校に設置してもらい、中学校でも病弱級にお世話になり過ごしました。
高校からは支援学校高等部へ。

●不安な気持ちで
   ここに訪れた方へ

ここに書いてある事は
ユウタに起こった症状と
その経過です。
頭蓋咽頭腫のお子さん全てに当てはまるものではありません。

同じ病気であっても、それぞれ症状も経過も違っています。



私、チヒロです。 チヒロ


1997年生まれ。
現在、専門学校1年生。
一見クールな奴に見られがちだけど、実はかなり笑える女子です。ギターで弾き語りをしたりライブをしたり楽しんでいます。


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