『小児脳腫瘍の治療後』という事で、ユウタと私達家族を取材をして下さった毎日新聞の記者の方から
「だいたいの記事が出来ましたので確認して頂きたいのと、御主人からもお話を少し頂きたい」…という事で、夕方 電話が掛かってきました。
「都合上、記事をFAXなどで送ることは禁止となっていますので、このお電話で申し訳ありませんが、今から内容を読ませて頂きます。」
ざっとだけど、記者の方が書いて下さった記事を初めて読んだ。
正確には、「聞いた」んだけど、私の脳内では新聞紙面の活字となって浮かんでいました。
読んで率直に、嬉しかった。
不安だったのが、いきなり「嬉しい。」の気持ちでいっぱいになったよ。
「どうですか?なにか間違いや、お気づきの点はありますか?」と聞かれたときに
「嬉しいです、関谷さん(記者の方)に伝わった事がまず本当に嬉しいです。」と、見当違いな返事をしつつ、私は半べそになってしまった。
これまでの9年間。
ユウタの病気は、聞けば一瞬 命の危機を想像する、脳腫瘍という病気以外の部分では、なかなか理解を得られなかった「脳腫瘍治療後の後遺症、高次脳機能障害」について、本人が一番だという事には間違いは無いけど、家族も本当に本当に、心底苦労してきた。
周囲に対してどんなに説明しても、甘えや性格、親のしつけなど、そういう類の問題と思われてきた。
だけど、一般社会では理解を得られない事はもう仕方がないとしても、医療従事者の方々には理解してもらえると信じてきた中で、医師からの言葉に、絶望よりもっと深いところに落っこちた日も…あった。
あんまりにも絶望して、長期入院中だったユウタを、バリアフリーでもなんでもない自宅マンションに、まだ治療途中で立つことさえ出来ない車椅子のユウタを無理やり連れて帰った事もあった。
病院であんなに泣いたのは、ユウタの脳腫瘍告知以来だったな。
病院の駐車場へと、ユウタの車椅子を押しながら、声を出して狂ったように泣く私。
そして自分が今日、今いきなり退院となった事に、「それがどういう事でこうなったのか」誰も説明なんかしなくても理解出来ていた当時小学2年生のユウタ。
泣きながら東名高速の追い越し車線を横浜インターから厚木インターまで、超超超猛スピードで走る私に、ユウタは後部座席で泣きながらずっと「ママ、ごめんね。」って言い続けていたよね。
ユウタが謝まる事なんか何にも無い!って、私はまだ号泣していたから、ちゃんと発音出来ていなかったけどね。
私にだけではないよ。
ユウタにも、これは深い傷だよね。
記事の内容を聞きながら、そんな出来事を思い出していました。
同時に、「家族ではない、他人」に、深く理解してもらえたんだ!という嬉しさでいっぱいになりました。
そう、それが嬉しかった。
伝わった。
知らない人に、他人に、伝わった。
本当に、それがただ単に嬉しかったよ。
記事はまだいつ掲載となるか分からないけど、うちみたいな「困っているドン詰まりな家庭」は、声を潜めて静かに泣きながら、たくさんいると思う。
脳腫瘍の治療後とは違っても、様々な病気により周囲からの理解や支えも無く、家族だけで頑張ろうと踏ん張り続けてる人達がね。
「長期フォローが必要。
社会で支える仕組みが必要。」
さっき記者の方が、そう言ってくれた。
「大変なんだね」でもいい。
「こういう病気があるんだね」でもいい。
「あー、かわいそうに」だっていい。
いきなりの制度改革に繋がらなくても、まず、こんな人がいるよ!をちらっと知ってもらえたら良いと、私は今、思っています。
掲載日はまたお知らせします。
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