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中央分離帯。 

先生とのお話(その時の記事←click)が済んで 病院を出る時は
もう、夜の8時を過ぎていました。


部屋から出ても私は、もう どうしようもない位の号泣状態でした。

だけどそんな状況の中、看護師さんが私に
ユウタの薬を手渡す為の確認作業と説明をしていたんだけど
ホント、無理・・・・・全然聞いていませんでした。(聞けませんでした)


とにかく、早く施設から逃げ出したい!という気持ちだけ。

 「ユウタになんて言い訳(泣いてる事)しよう。」
 「泣きはらした顔で、チヒロを迎えに行けないよ。」
 「早く家に帰りたい。パパに会いたい。」
 

やっぱりユウタは、子供みたいに泣き続ける母親を見て
とても驚いていたのだと思います。
当たり前だけど。

「ママ、ママ、どうしたの?」って
車椅子でぴったりと、私のそばを離れませんでした。


ユウタを不安にさせてしまっているのは重々承知していたけど
どうやっても涙が止まりませんでした。





外に出て、駐車場にポツンとある自分の車を見ると
余計に涙が止まらなくなりました。


「頑張ってきたよね。」


今日の事がきっかけとなって
ずっと抑えていた これまでの気持ちも全部込みで
悔しさが込み上げていたのかもしれません。



お月様 ユウタが心配そうに、私を見上げていて。

              「ママ、早く家に帰ろう」って。 









ここまで、どうやって走ってきたのか・・・


帰り道の高速道路でユウタが

「ママ、ごめんね。」って、私に言ってきました。


ハッとして、バックミラーでユウタを見ると
施設の荷物を抱えたまま、シクシク泣いていました。


ユウタは何も悪くないんだよって何度も伝えて

ママが泣いていたのは
ユウタの事とは全然関係ない話なんだよ~って
それはそれは 必死に言い訳したんだけど。


それでもまた、お互い涙が溢れてきて

   ・・・本当に事故りそうになってしまった。





この時私は、追い越し斜線をかっ飛ばしながら

このまま、この中央分離帯に突っ込んだら
二人一緒に、ほんの一瞬で楽なれちゃうのかな・・・って

そんな事を思っていました。そうね、最低だけど。


ユウタの病気が発覚した当初も、高速道路を走りながら
助手席の私が、運転中のパパに
そんな事をつぶやいて困らせた事がありました。


  あの時、パパはなんて言ったかな。

  思い出せない。









誤解や偏見によって、辛い事は今まで結構あったけど

「病気の事を知らないんだから仕方ない」って
そういう風に自分に言い聞かせてきました。



だけど、医療に携わる方たちに限っては
何があっても絶対的に
ユウタの事を理解してもらえると信じてきました。


この先の人生の中で、きっと「理解してもらえない!」という葛藤の中
ユウタには辛いと感じる出来事は多いのかもしれないけど

でも、その中でも病院や先生たちだけは
ずっと味方でいてもらえるって思い込んでいました。


ユウタにとっても、家族にとっても
ず~っと、1番の「味方」でいてくれるって。


この日、そういうものが一瞬にして消えました。









パパとは、夜通し話し合いました。


  まず、とにかく これからどうしようか。



思う事は、もちろんたくさんあるんだけど

とにかくユウタの為に、これからどうしようか
今は、それだけを考えようよ。


パパだって、きっと泣きたかったと思うけど
とても冷静でした。




  施設は、退所しよう。

  急いで転校の手続きをしよう。


  これまでと何にも変わらない。
  
  今までどおり、あきらめないで頑張っていこう。



たったそれだけの事。
難しい事じゃない。



*******************************************************************




   あの時、パパはなんて言ったかな。

   思い出せない。




ずっと考えてたけど、やっと思い出したよ。


「あきらめないで、頑張っていこう」






結局、どんなに悩んだって・・・いつも答えは同じなんだよ。










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    ユウタの病気を広く正しくみんなへ伝えたい。
    誤解も偏見も無く、子供達が生きていきやすい未来を想って・・・。
 
 


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[ 2008/06/06 23:59 ] 肢体不自由児施設 | トラックバック(-) | コメント(-)
書いている人

ななえママ



●冨塚 七枝

神奈川県在住、2児の母。
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Family

冨塚 七枝


僕、ユウタです。 ユウタ


2000年10月生まれ。
現在、特別支援学校1年生。
4歳の時に「頭蓋咽頭腫」という
脳腫瘍を発覚。5歳で再発。

7歳の時 骨の病気である
大腿骨頭すべり症を発症。

現在は汎下垂体機能低下症。
尿崩症。
体温調節障害。
視床下部性肥満
高次脳機能障害

もう少し詳しい経過は
以下↓をご覧下さい。

ユウタは4歳の時に
頭痛と嘔吐をくり返した為
念の為にと受けたCT検査にて
「頭蓋咽頭腫」という脳腫瘍が見つかりました。

・頭蓋咽頭腫
(ずがいいんとうしゅ)
craniopharyngioma
(クラニオファリンジオーマ)

頭痛と嘔吐の症状は
水頭症を併発していた為に
起こっていた症状でした。

腫瘍摘出の為に受けた
1度目の開頭手術では
全ての腫瘍を摘出する事は出来ませんでした。

その後すぐに再燃し
その時もまた水頭症を併発していました。

腫瘍により流れにくくなっている髄液を流しやすくする処置としてすぐにシャント手術を受けました。

2度目の開頭手術には福島孝徳先生に執刀して頂き、見える範囲の腫瘍を全摘出できました。

手術の後遺症により
視床下部性の
汎下垂体機能低下症、
尿崩症
高次脳機能障害に。

使用中の薬は
・チラーヂン
・プレドニン
・成長ホルモン
・防風通聖散
・ゴナドトロピン注射
・ミニリンメルトOD錠

視床下部性の肥満の為、高度肥満に陥りました。


7歳の時に下垂体機能低下症の影響からと思われる「大腿骨頭すべり症」という足の病気になりました。(両側)

両足の大腿骨部分にボルトを埋める手術を受け、リハビリの為、肢体不自由児施設に約半年間入院しました。

小学校は3年生までは なんとか普通級で過ごしましたが
4年生になると同時に「病弱児支援級」を学校に設置してもらい、中学校でも病弱級にお世話になり過ごしました。
高校からは支援学校高等部へ。

●不安な気持ちで
   ここに訪れた方へ

ここに書いてある事は
ユウタに起こった症状と
その経過です。
頭蓋咽頭腫のお子さん全てに当てはまるものではありません。

同じ病気であっても、それぞれ症状も経過も違っています。



私、チヒロです。 チヒロ


1997年生まれ。
現在、専門学校1年生。
一見クールな奴に見られがちだけど、実はかなり笑える女子です。ギターで弾き語りをしたりライブをしたり楽しんでいます。


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