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サヨナラ施設。 


2008年 6月9日(月)



この日は朝から、とても慌しくしていました。(その事の記事←click!)

これからユウタが使用していく車イスの調達と
それから、地元の小学校へ行き
これまでの経過と現在の様子をお話して・・・

身体的にも心的にも落ち着かず、バタバタしていました。




「ユウタにとって1番良い方法を!」と、思い悩み
施設を退所する道を私たちで決断した以上は
それに向かって突き進む事以外はありませんでした。


大変だとも、面倒な事になったとも、思いませんでした。

でも、心のどこかでは・・・不安もありました。


 どんな事があっても
 ひたすら頭を下げて下げて、下げ続けて

 どんなに苦しくても
 ユウタの心と私たち家族の心が壊れたとしても

 それでも施設で過ごしながら、足のリハビリを続ける事が
 本当はユウタの為なんじゃないか?




心の中で繰返す自問自答。

立ち止まったら、前へと進めなくなりそうで。


きっと、パパも同じだったのでしょう。

言葉数少ない中で、これからの手続きとスケジュールについてだけ
パパはわざと明るい調子で話していました。










夕方6時、家族そろって施設に行きました。


大まかに言えば
施設退所の手続きと学校の転校手続きの為です。

施設の方々や整形外科の先生たちと、お話の約束もありました。



突然の施設退所、突然の転校で
本当にたくさんの方々に迷惑を掛けてしまいました。

私たちは最初から最後まで
問題の多すぎる患児&家族でした。



心深くに、しまい込んである大きな失望(その時の記事←click!)は、
変わらぬ痛みのままだったけど

私たちの想いは すべて話せたし
先生も私たちへ伝えてくださったし・・・きちんと出来て良かった。



私は・・・というか、きっとみんな同じだと思うけど

子供の病気に関する事で、小さな事でも疑問があったり、治療に不安があれば
こちらが納得できるまで、その答えを繰り返し聞きまくります。

その代わり、こちらもそれなりに
得られる限りの知識を持つ努力もします。


先生によっては、そういう患児の親は面倒かもしれない。

露骨にため息付く先生もいるけど
誰にどう思われようが、そういう所だけは強気な私です。

普段の人間関係では小心者なんだけど
子供の病気に関する事だけは、Dr の顔色なんて気にしません。



ユウタの整形外科の先生は、私の質問攻撃に嫌な顔一つせず
いつだって誠実に答えてきて下さいました。


「原因は分からない」といった結果に納得出来ないのではなく

その答えに辿り着くまでの事や今後を
こちらへ分かりやすく説明してさえくれれば
不安の受け止め方も、ずいぶんと違ってくると思います。


思い返せば、先生はいつも
誠心誠意を持ってユウタの病気を診てきて下さっていました。



夕食後、みんなが夜のお散歩に出かけた後。

施設のお部屋でユウタと私が宿題をしていると
時々、覗きに来て話しかけてくれました。

もうやだ!って半ギレ状態のユウタに優しく声を掛けてくれて
そのお陰で救われた事も、何度かありました。


施設内には、毎日のように数人の整形外科Drが視えますが
ユウタの先生が、1番遅くまで子供たちの様子を見に来ていたような気がします。


ユウタも先生が大好きでした。

私も、心から感謝していました。



だから、私の心に残っている痛みとは切り離して
先生には今後も続けてユウタの足を診ていって欲しいと お願いしました。

先生も、快く引き受けて下さいました。











施設のお部屋に行くと
入所中の子供達が いつもと変わりない様子でいました。

ただ、ユウタが施設を今日、この時間に退所していく事を知り
少しだけ戸惑った様子のお友達も居ました。


私は、ただ淡々と荷物の片づけをしていました。

感情的には、とても複雑な想いもありました。

それが溢れないように
ただただ黙々とカバンに荷物を押し込んでいました。


ユウタがポツリ・・・「ユウタ、退所のお別れ会も出来なかったな。」

それを聞き逃さなかった施設の支援課の方が
お部屋のお友達を集めて、急遽 3分くらいの「お別れ会」をしてくれました。









今まで使わせて頂いていた車椅子を施設へ返却して

ユウタは新しい車椅子に乗って
私たちも新しい道に向かって歩き出しました。



色々あったけど。

支えられていた事に改めて大きく気が付いて
施設のドアを出た時・・・今までよりも不安は増しました。





希望に満ちた、とは決して言えない状況だったけど
「ここで弱気になっている場合じゃない!」といった自分への強い気持ちは

北海道でユウタの腫瘍の再発を知った時と
どことなく似たようなものでした。











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    ユウタの病気を広く正しくみんなへ伝えたい。
    誤解も偏見も無く、子供達が生きていきやすい未来を想って・・・。
 
 


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[ 2008/06/09 23:59 ] 肢体不自由児施設 | トラックバック(-) | コメント(-)
書いている人

ななえママ



●冨塚 七枝

神奈川県在住、2児の母。
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Family

冨塚 七枝


僕、ユウタです。 ユウタ


2000年10月生まれ。
現在、特別支援学校1年生。
4歳の時に「頭蓋咽頭腫」という
脳腫瘍を発覚。5歳で再発。

7歳の時 骨の病気である
大腿骨頭すべり症を発症。

現在は汎下垂体機能低下症。
尿崩症。
体温調節障害。
視床下部性肥満
高次脳機能障害

もう少し詳しい経過は
以下↓をご覧下さい。

ユウタは4歳の時に
頭痛と嘔吐をくり返した為
念の為にと受けたCT検査にて
「頭蓋咽頭腫」という脳腫瘍が見つかりました。

・頭蓋咽頭腫
(ずがいいんとうしゅ)
craniopharyngioma
(クラニオファリンジオーマ)

頭痛と嘔吐の症状は
水頭症を併発していた為に
起こっていた症状でした。

腫瘍摘出の為に受けた
1度目の開頭手術では
全ての腫瘍を摘出する事は出来ませんでした。

その後すぐに再燃し
その時もまた水頭症を併発していました。

腫瘍により流れにくくなっている髄液を流しやすくする処置としてすぐにシャント手術を受けました。

2度目の開頭手術には福島孝徳先生に執刀して頂き、見える範囲の腫瘍を全摘出できました。

手術の後遺症により
視床下部性の
汎下垂体機能低下症、
尿崩症
高次脳機能障害に。

使用中の薬は
・チラーヂン
・プレドニン
・成長ホルモン
・防風通聖散
・ゴナドトロピン注射
・ミニリンメルトOD錠

視床下部性の肥満の為、高度肥満に陥りました。


7歳の時に下垂体機能低下症の影響からと思われる「大腿骨頭すべり症」という足の病気になりました。(両側)

両足の大腿骨部分にボルトを埋める手術を受け、リハビリの為、肢体不自由児施設に約半年間入院しました。

小学校は3年生までは なんとか普通級で過ごしましたが
4年生になると同時に「病弱児支援級」を学校に設置してもらい、中学校でも病弱級にお世話になり過ごしました。
高校からは支援学校高等部へ。

●不安な気持ちで
   ここに訪れた方へ

ここに書いてある事は
ユウタに起こった症状と
その経過です。
頭蓋咽頭腫のお子さん全てに当てはまるものではありません。

同じ病気であっても、それぞれ症状も経過も違っています。



私、チヒロです。 チヒロ


1997年生まれ。
現在、専門学校1年生。
一見クールな奴に見られがちだけど、実はかなり笑える女子です。ギターで弾き語りをしたりライブをしたり楽しんでいます。


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